くらし 【特集】地域とつながる滝川駐屯地 ー滝川駐屯地創立70周年ー(1)
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- 発行日 :
- 自治体名 : 北海道滝川市
- 広報紙名 : 広報たきかわ 令和7年6月号
滝川駐屯地は、今年創立70周年を迎えます。
滝川移駐の歴史や、災害派遣・地域貢献など自衛隊の活動や地域とのつながりを紹介します。
■Self-Defense Forces history 滝川駐屯地の歩み
◇北海道人造石油株式会社と終戦
昭和20年、第二次世界大戦の終戦により、現在の陸上自衛隊滝川駐屯地付近にあった、「北海道人造石油株式会社滝川工場」はGHQの命令により人造石油の製造を中止、軍需工場としての意義を失いました。
その後、滝川化学工業株式会社として平和産業へ転換しましたが、昭和27年6月に倒産を迎えました。
◇希望のあかり陸上自衛隊の滝川移駐
滝川化学工業の倒産後、新規企業の誘致が見込めず、跡地利用が難航する中、舞い込んだのが、自衛隊の誘致話でした。
当時の神部滝川町長をはじめ、関係者の努力により、昭和30年7月、陸上自衛隊第10普通科連隊の主力が九州から滝川町へ移駐しました。
2千人を超える隊員と家族が滝川に移転し、この年の国勢調査で初めて町の人口は3万人を突破し、この移駐が滝川の市政施行の原動力となったのです。
◇移駐から70年地域とつながる滝川駐屯地
隊は平成31年に第10普通科連隊から第10即応機動連隊に改編されました。
現在は、即応機動連隊、業務隊ほか諸隊あわせ約700人の自衛隊員が日々訓練や地域貢献などを行っています。
また、有事の際には、災害救助活動などへ従事します。
◇移駐当時を知る元隊員
田口 昭雄さん(92歳)
自衛隊に入隊したのは昭和27年、19歳の時です。熊本駐屯地に入隊後、昭和29年に部隊が北海道に移駐することになりました。
千歳、真駒内(札幌)を経て昭和30年に滝川へ来ましたが、町民の歓迎はそれはもう盛大なものでした。
当時は道路が砂利道だったので、移動の道中、ほこりにまみれて顔中真っ黒になり滝川に到着しました。そんな私たちを婦人部の方々が、洗面器に水をためて待っていてくれたんです。真っ黒になった顔を洗って、歓迎の出迎えの中を行進しました。
三浦華園のあたりから駐屯地まで、大人から子どもまで本当に大勢の方が出迎えてくれ、涙がでるくらいうれしかったのを覚えています。
■-地域とつながる滝川駐屯地-災害派遣活動
自衛隊は、国内における地震・風水害・火山噴火・雪害などの自然災害や火災・海難・航空機事故などの際の救助、山などでの遭難者救助などの災害派遣に携わり、国民の生命や財産の保護に寄与しています。
◇滝川市における主な災害派遣活動
石狩川と空知川にはさまれた滝川。まちの歩みは洪水との闘いでもあり、春の雪どけ、夏の長雨や台風により、川は幾度となく氾濫を起こしてきました。
滝川駐屯地部隊は、このような水害をはじめ、滝川を襲う数々の災害のたびに、災害救助活動にあたり、人命とまちを守ってきた歴史があります。
平成30年9月に発生した、胆振東部地震では、地震発生後に北海道のほぼ全域で停電が発生、ブラックアウトの状態が続く中、滝川駐屯地の支援が市民の生活を支えました。
◇ブラックアウト時の滝川駐屯地の支援
・平成30年9月7日
滝川市スポーツセンターにて炊事車により573食の夕食を提供したほか、市内3か所で自衛隊の非常食1,370食を提供。
・9月8日~9日
停電により市民が入浴できないことから駐屯地内の隊員浴場を一般開放、約100人の市民が利用。
◇市内での主な災害派遣活動
昭和31年 栄町広小路十字路街で火災発生による消火活動
昭和36年 集中豪雨により、石狩川・空知川氾濫。水防活動
昭和37年 台風9号に伴う豪雨。人命救助、給水、消毒、築堤等活動
昭和39年 黄金町大火による消火活動
昭和50年 台風6号による洪水と、豪雨による水防活動
昭和56年 台風12号による豪雨。水防活動
平成30年 胆振東部地震発生。炊き出し、入浴支援活動
◇市外での主な災害派遣活動
昭和47年 横浜航空そよかぜ号墜落による捜索活動(月形町)
平成23年 東日本大震災生活支援活動
平成28年 熊本地震生活支援活動
■地域と共に守る 防災訓練
市では、自衛隊や関係機関と連携し防災訓練を行っています。
石狩川、空知川の氾濫を想定し、流域市町や防災機関と連携し行う「水防演習」や、警察・消防、自衛隊と共に、大規模災害を想定した「災害対策本部図上訓練」を行うなど、日ごろから災害への備えに努めています。