- 発行日 :
- 自治体名 : 北海道歌志内市
- 広報紙名 : 広報うたしない 令和8年1月号
■「ちょんまげ時代の炭鉄港」
先日、炭鉱(ヤマ)の記憶推進事業団のガイド研修と視察のために、鹿児島、福岡、そして長崎の炭鉄港の遺構を巡って来ました。これらは「明治日本の産業革命遺産」として平成27年にユネスコの世界遺産に登録されている壮大な規模のものです。
その歴史は江戸時代の終わり、幕末から始まっています。日本の急速な近代化は、ちょんまげの武士がいた時代に北海道から遠く南端の鹿児島で、すでに始まっていたのです。
近隣のアジア諸外国がロシア、イギリス、フランスなどの植民地にされてゆく様子を見て危機感を持ち、「自分たちの手で近代技術を学ぼう」と製鉄、造船、ガラス造り、レンガの製造などを独自に研究し、完成させていったのが薩摩藩(今の鹿児島県)です。
先見の明があり、身分にとらわれず、優秀な人材をどんどん登用して新しいことを推し進めていったリーダーは島津斉彬(しまづなりあきら)公というお殿様です。
オランダ語の本を読んで、それに日本人の細やかな技術力を加えて見たことも聞いたこともない製鉄のための「反射炉」を西暦1800年代に作り上げたというのですから、江戸時代の「近代化プロジェクト」すごい気迫。その跡が「集成館(しゅうせいかん)」として今も残され公開されています。
実際にその跡を見ると、その技術がいかに高度なものだったか?とびっくりします。「前例のない誰もやったことのないことを成し遂げる」その向学心と好奇心、そしてバイタリティ。そもそも機械を動かすエネルギー源をどうするか?から考えるのですから。
何もかも与えられ、便利な21世紀を生きる今の私たちに一番欠けているのがこの「創造力・イマジネーション、そしてあくなき探究心」ではないでしょうか。
その島津斉彬公は当時から北海道に注目しており、北海道には軍備拡張よりもまず、開拓と調査、産業を発展させるのが先だ、と家臣たちに説いていたといいます。ふと考えてみると、明治4年に「北海道開拓使長官」になってバリバリと北海道を近代化していった黒田清隆(くろだきよたか)も「北海道炭鉱鉄道」(北炭)を創設した実業家堀基(ほりもとい)も、サッポロビールを創設した村橋久成(むらはしひさなり)も、北海道をくまなく歩き回り詳細な記録を残した永山武四郎(ながやまたけしろう)も、みんな「薩摩藩出身」。つまり鹿児島の人たちなのです。これほどまでに鹿児島と北海道のつながりは深く、北海道の近代化は薩摩藩(鹿児島)なくして語ることはできません。
鹿児島なんて、遠い南国の土地、と思っていた私ですが、こうして炭鉄港の歴史を調べたり、現地に行ってみることで、新たな発見がたくさんありました。美しいガラス細工「薩摩切子(さつまきりこ)」も元をたどれば日本の近代化の産物。ちょんまげの人たち、すごい!
日本の近代化を辿る旅は、まだまだ続きます…。〔次回へ続く〕
(地域おこし協力隊・石井葉子)
