文化 「炭鉄港」って、なに? その14

■「100年後のビジョンを持っていた団琢磨(だんたくま)というひと」
炭鉄港って、なに?その13の続き(「炭鉄港九州視察旅行は続きます」)。
九州の炭鉱と言えば世界遺産にも登録されている「三池炭鉱」。歌志内と同じく、石炭産業が主な産業であった福岡県大牟田(おおむた)市にあります。あの「月が~出た出た~月が出た~」で始まる盆踊り歌「炭坑節(たんこうぶし)」はここで生まれました。
駅を出ると巨大な「団琢磨(だんたくま)」像がお出迎えです。団琢磨(1858年~1932年)という人はアメリカで鉱山学を学んだあと、東大教授、そして三井三池炭鉱を大規模に発展させた人物です(作曲家の団伊玖磨(だんいたくま)は、琢磨の孫にあたります)。
常に100年後のことを考え、周囲の反対を押し切って新たな技術をどんどん投入し、炭鉱だけではなく三池築港のプロジェクトも押し進めました。歌志内の炭鉱が閉山になっていったのと同じ時期、三池炭鉱も同じく閉山になってしまいますが、この近代的な港があったおかげで、大牟田市は今も海外貿易港として発展を続けているのです。
大牟田石炭博物館に残された団琢磨の残した手帳を見ると、新たなプランやアイデアがびっしりと書き込まれていました。しかもすべて英語で…。100年後のことを考えられる人物がいた明治という時代の日本に思いを馳せるひとときでした。
目先のことにとらわれて、1年先のことすら明確なビジョンが持てない現代社会ですが、本当に役に立つまちづくり、産業の発展ということを考えると、このような長いスパンで計画の未来像を持つ、ということがとても大切だということがわかってきます。
炭鉄港の学びとは、そのような過去の事例から、これからの100年を考えることにつながるものです。けっして「なつかしのレトロ懐古趣味」ではありません。
今回、世界遺産に登録されている大牟田市の古い立坑やレンガ造りの建物は、現在の景観を損なわないように見えない部分に鉄骨の支柱を入れたり、様々なハイテクを駆使して保存されていることを知りました。そしてモノだけではなく、案内してくださるボランティアガイドのかたがたが、当時の炭鉱の様子を自分の言葉で、臨場感を感じさせる口調で説明してくださったのが印象的。決してよいことばかりではなかったのが石炭産業です。大規模な爆発事故や労働争議のことなど、それら「暗部」もひっくるめて事実をしっかりと認識し、知ること、これも大切な炭鉄港の学びだと改めて思いました。歌志内の炭鉱の記録も、そこをしっかり押さえて書き残さなくてはと思っています。
さあ、次回は長崎県の世界遺産「端島(はしま)」(軍艦島(ぐんかんじま))のスリリングな上陸記です。どうぞお楽しみに。
[次回へ続く]

(地域おこし協力隊・石井葉子)