文化 ふるさと探訪

■虻田(あぶた)郡 514回
今回は、虻田郡の始まりについて探訪したいと思います。下の地図に赤枠で示した範囲が虻田郡で、羊蹄山麓町村と洞爺湖町(旧…虻田町・洞爺村)・豊浦町が範囲となります。1869(明治2)年、明治政府はそれまで「松前地、蝦夷地」と呼ばれた大地を日本の国郡里制に合わせて全体を「北海道」、その中の国を「胆振国」など11の国、国の中を「虻田郡」など86の郡に分けました。この素案は、開拓判官の松浦武四郎が開拓使に提出した『北海道々国郡選定上書』が基本となっています。
武四郎は、江戸時代に何度も蝦夷地を見分し、当時のアイヌ民族の暮らしや交易内容を記録して、当時のアイヌの生活圏や松前藩との交易拠点を基本に郡を考えました。武四郎が書いた『丁巳(ていし)日誌』によると、虻田郡の範囲はアブタ場所として、虻田や豊浦のアイヌが山を越えて尻別川上流や支流の真狩川・昆布川でサケ漁や狩猟をしていました。尻別川河口のアイヌは昆布川河口までが活動範囲、岩内のアイヌは堀株川をさかのぼり山を越えて尻別川支流のソースケ川でサケ漁をしていました。
風土館では『丁巳日誌』についての解説書を用意していますので、ぜひご覧ください。

文:今井真司(倶知安風土館学芸補助員)