文化 鰊御殿とまり ごてん 令和8年2月号

■如月 春の兆しを感じる月
鰊御殿とまり館長 増川 佳子

寒い日が続きますが、大事なくお過ごしでしょうか。2月は和名で「如月」と呼ばれています。余寒が身に染みる時期であるため「衣更着」という説や春の草木が芽吹き始めるから「生更木」という説があります。「梅見月」「雪消月」「木芽月」などという別名も持つ2月は、厳しい寒さの中にわずかに感じる春の兆しを見つけながら本格的な春を待ちわびる月でもあります。さて、令和8年1月号で『鰊御殿とまり』にある『大日本職業別明細図』(昭和9年発行)の“大字泊村”地域をご紹介しました。興味を持っていただけましたでしょうか。今回は、“大字茅沼村”の地図のご紹介です。
玉の川の上流に茅沼炭鉱の事務所・選炭場・社宅等が並んでいます。泊村の石炭は江戸時代末期の1856年に武井忠兵衛の雇人により発見され、1857年から採掘が始まりました。昭和5年、茅沼炭鉱株式会社に経営が移り、昭和6年には選炭場から岩内港までの約10km に架空索道が建設されました。その索道が地図右上に描かれています。
炭鉱施設の下方に“茅沼分教場”があります。茅堀尋常高等小学校が廃校になり、泊尋常高等小学校に合併したのが明治45年。昭和9年当時には、泊小学校茅沼分教場だったというわけです。昭和24年、茅沼小学校が創立されました。玉の川の河口付近のバスが通る交差点の3角には“武井家”の建物が並んでいます。番屋(鰊を主にした漁業)・呉服店・醸造部と、一族が協同で多角的に商いをしていたことがわかります。その交差点から泊方面に向かう登りカーブの頂点に鳥居のマークがあります(地図の折り目で見つけにくいのですが…)。現泊公民館(旧泊中学校)の場所に恵比須神社があり、この地の漁業守護神として祀られていました。その後、炭山の開発と共に住民が増え、茅沼村の氏神とされ、昭和28年に現在地に移転造営されました。
江戸時代に発見された茅沼炭山は、昭和の戦時産業の一端を担い、昭和44年の泊炭鉱閉山まで茅沼の地に大きなにぎわいと活気を与えていたことが伝わってきます。

※詳細は本誌P.12をご覧ください。