- 発行日 :
- 自治体名 : 北海道由仁町
- 広報紙名 : 広報ゆに 2025年5月号
■由仁軌道株式会社
▽1924(大正13)年
札幌の有志らが発起人となり、由仁駅から長沼市街を経由して北広島市街に通ずる軌道敷設を計画、測量開始。(由仁町史下巻137)
1928年(昭和3年)由仁軌道株式会社設立。起工式を行い工事着工。(由仁町史下巻147)
▽1929(昭和4)年
金融恐慌により休業する銀行が続出し、由仁軌道株式会社の当初予定されていた4,000株の株主の払い込みが悪く、業者への支払いも滞り工事を中止する。(由仁町史下巻148)
▽1939(昭和14)年12月
由仁軌道株式会社は正式に解散。(由仁町史下巻173)
路線は由仁駅から道道札幌夕張線の南側を通り、長沼市街に入ってからは東3線から今の長沼町立病院の裏通りを直線に入り、病院の所に停車場を設け、現在の国鉄住宅一帯を車庫、貯炭庫、機関庫に利用し、途中、富士戸(元新納温泉付近)に停車場を1か所置くという全長11kmに及ぶものだった。札幌の浅野次郎左衛門が工事を請負、昭和3年11月に起工式を行った。
最初は工事も順調に進み、プラットホームも半ば完成を見たが、株金の払い込みも悪く、したがって、業者に対する支払いも滞りがちとなり、浅野は資材一切を差押えるとともに、全株主を相手取って訴訟を起こす結果となり、ついには挫折した。(長沼町の歴史下巻254)
由仁村から馬追山を越えて長沼村、そして広島村までの鉄道が計画どおり完成していたら現在の由仁町、長沼町の姿は随分変わったことは間違いなく、特に長沼村としては待望の鉄路の計画に胸を躍らせたことと思われる。
長沼町の歴史(下巻)には、由仁軌道長沼停車場構内図が残されている。