- 発行日 :
- 自治体名 : 福島県三春町
- 広報紙名 : 広報みはる 令和7年12月号
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町村合併の前に、明治維新後には「府県統合」がありました。
廃藩置県となった明治4年に、各藩は「藩」から「県」へと名称を変え、三春藩はそのままの領域で三春県となります。しかし同年11月、三春県は廃止されて平県と合併、平県は11月29日に磐前県(いわさきけん)と名前を変えました(県庁所在地はいわき市平)。守山藩だった岩江地区は、維新後守山藩が松川藩と名前を変えたため、松川県→白河県→磐前県となります。
磐前県は、西白河郡・東白川郡・田村郡・石川郡などを除けば、現在の「浜通り」の原型と言えます。この時の県の長は、「権令」ともいい、大きな権力を持つのですが、現在の県知事と違うのは、県民が選ぶことはできない、というところです。権令にしろ、郡長にしろ、大きな権限を持つ人は政府が任命し、遠くから赴任する人が多かったのです。最も長く磐前県権令を務めたのは村上光雄で、栃木県出身の人でした。
現在の私たちは、地方自治体の長と議員とを直接選挙で選ぶことができます。しかし、明治新政府下では、そのような制度はまだかけらも見えてきません。なぜなら、地方を内務大臣や知事、郡長らの強い監督の下に置く、中央集権国家としての国作りが進められていたからです。このため当初は市町村制ではなく、地域の実情を無視した、大区・小区制というのが敷かれています。例えば大四区小十区は平沢・高柴・鷹巣・木村・北小泉・舞木等という構成で、他にもこうした地縁のない組み合わせが多く見られます。地域からはすぐに変更の要望があがっています。
しかし、磐前県があったのも明治9年まで、磐前県・若松県そして旧・福島県の三県が合併することで、ほぼ現在の福島県が成立します。
