- 発行日 :
- 自治体名 : 福島県三春町
- 広報紙名 : 広報みはる 令和7年6月号
明治22年、御祭村の「御」、七草木村の「木」、平沢村の「沢」をとって命名された、御木沢村が成立しました。当時のいずれの村も同じですが、役場が設置されても、そこで仕事をする職員は、村長、助役、収入役、書記の4人ほどで、余裕がある町村でも、使丁という職員を雇う程度でした。つまり、村長であっても、国や県の監督のもと、定められた仕事を実行する職員でしかない時代でした。
明治22年当時、職員数が最も少なかったのは、御木沢・要田・沢石の3村で、特に御木沢と沢石は人口・戸数ともに少なく、明治22年に行われた、県の町村制実施後の報告では、「(御木沢村は)職員は仕事に励んでいるが、村予算の増加を恐れ、節約に励んで書記も置かず、臨時雇いなどをして事務に当たっている」と、人件費を削り、村の支出を抑えていることが指摘されています。
御木沢村役場は、田村郡役所への定期報告の控えを保存しています。写真1の簿冊を見ていくと、明治40年代頃には、御木沢村ではまだ、畜産の大半を馬が占めていたことがわかります。写真2は時代が下りますが、大正8年のひでり被害の際、米の不作により納税ができないと、郡山税務署へ届け出た書類の控えです。実はこの大正8年頃というのは、米騒動などが起きた異常な物価高騰のさなかで、納税できなくなる前に、御木沢村役場が免除に向けて動いていたようです。明治33年の県の巡視では、御木沢村には税の滞納がないと、巡視者は驚きをもって報告していますが、その後も、時局に応じた対策が続いていたのでしょう。