文化 行方歴史探検2025

■風土記の郷「なめがた」3
~ヤマトタケルの巡幸と地名伝説~
倭武天皇(やまとたけるのすめらみこと)は、行方郡巡幸(なめかたのこおりじゅんこう)時に地名伝説を残しています。現原の丘を下りて大益河(おおやかわ)から船で遡上(そじょう)したとき棹(さお)と梶(かじ)が折れました。そこで、この「河」を「梶無(かじなし)川」と呼びました。梶無川から上陸すると鴨(かも)が飛び回っていたので、倭武天皇が矢を射ると弓弦(ゆづる)の音に応じて鴨が落ちてきたので、その地を「鴨野(かもの)」と呼びました。これは、常陸国風土記記載の伝説ですが、伝説の英雄「ヤマトタケル」が名付けた地名にロマンを感じます。ちなみにヤマトタケルは、古事記(712年)では「倭建命(やまとたけるのみこと)」、日本書紀(720年)では「日本武尊(やまとたけるのみこと)」、常陸国風土記(721年)では「倭武天皇(やまとたけるのすめらみこと)」と表記されています。
※遺称地とは、古くから遺構や遺跡があったと伝承されている土地

※常陸国風土記の世界(1999茨城県立歴史館)、ヤマトタケルと常陸国風土記(2017黒澤彰哉)、鹿行の文化第53号(2023鹿行地方文化研究会)等を参考にしています。

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