- 発行日 :
- 自治体名 : 埼玉県志木市
- 広報紙名 : 広報しき 令和8年1月号
■第64回 大日堂(だいにちどう)
大日堂は遍照山(じへんょうざん)と号し、由緒として貞和(じょうわ)2年(1346)に戦乱を逃れて当地に来た数名の落武者が創建し、延文3年(1358)に再建したと伝わっています。江戸期には下宗岡にあった新義真言宗(しんぎしんごんしゅう)観音寺の別院でしたが、明治初期、観音寺の廃寺に伴い、上宗岡にある龍澤山(りゅうたくざん)大仙寺(曹洞宗(そうとうしゅう))の末寺になりました。寺院には大日如来(だいにちにょらい)の版木(はんぎ)が現存しており、寺院の歴史を知るうえで貴重な資料となっています。
大日堂の梵鐘(ぼんしょう)は、上・中・下宗岡村の名主(なぬし)・組頭・観音講中の人々などによって、先祖代々の供養のために奉納されたものです。江戸期に鋳造され、今日でも本来の役割を果たしている梵鐘としては市内唯一のものであり、平成2年3月に志木市文化財に指定されました。また、太平洋戦争中には金属類供出の対象となりましたが、檀家(だんか)の方々による強い抵抗により供出を免れた話が残る梵鐘でもあります。
以前の大日堂境内の墓地は、「ナゲコミ」と称される「土葬する埋葬地」と「墓参する石塔のある墓地」とが区分されていました(両墓制)。その後、生活様式の変化に伴って両墓制を継続することが困難となり、檀家の方々が全面的な墓地改葬を行いました。その時の「墓地改葬記念碑」が大日堂の入口付近に建立されています。
