- 発行日 :
- 自治体名 : 千葉県栄町
- 広報紙名 : 広報さかえ 令和8年2月号vol.881
■「さかえ」を歩いた馬(ニ)
他地域の駒形神社を調べてみると、「駒形山」や「駒ヶ岳」と呼ばれる土地に鎮座している事例が見受けられます。
残念ながら、「駒形山」という地名は安食地域に現存せず、また『佐倉風土記』は後世の編纂物であるので、「駒形山」という地名が実在したかは不明です。
しかし、今回は敢えて、伝承の中の「駒形山」が、どこを指していたのかを考察してみます。その手掛かりは、地域に残された江戸時代の古文書。1786年、安食村の名主が幕府代官に村の様子を伝えるため作成した「安食村御差出明細帳」です。
辺引ニ有之、駒形明神之本の跡
一本社板宮一社面壱尺五寸同寺支配
「辺引に駒形明神の跡地があり、そこには、約45cm四方の板宮造りの「本社」がある」という内容です。つまり、江戸時代後期に安食村の人々の間で、辺引の「本社」が駒形明神の跡地に建てられていると認識されていたことが読み取れます。
この辺引の「本社」ですが、同名の神社は現存していません。辺引には以前、「本社宮」が存在しました。現在の安食小学校付近にあった川崎神社の前身です。
安食村は、かつて川崎村と呼ばれていた時期があり、本社宮は川崎村の「鎮守的な存在」だったとの見解があります。(『千葉県印旛郡神社棟札集成』)本社宮の祭神は不明ですが、明治期に川崎神社へ改称されたときの祭神は保食命。駒形神社の祭神と同様です。
そして、辺引には、「本社山」と呼ばれる高地がありました。明治期に削られ、今は面影がありませんが、印旛郡一の高所だったそうです。現在は削平された台地の上に安食小学校が建っています。(今井康之『古文書でたどる安食の歴史』)
辺引の本社が本社山にあったとすれば、古文書が記す駒形明神の跡地もまた、本社山にあったことになります。さらに踏み込むと『佐倉風土記』が伝えるところの「駒形山」とは、辺引にあった本社山のことを示していた可能性があります。
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