文化 城下町大聖寺〜わがまちの由来〜

■法華坊町とまちの由来
法華坊町は、大聖寺川の下流左岸に位置し、永禄元年(1558年)ごろに日蓮宗の草庵「法革坊」があったことが地名の由来とされています。江戸時代には大聖寺城下町の一部として発展し、明治22年に大聖寺町の町名となりました。
延宝元年(1673年)には、当時の藩主・前田利明によって大聖寺川の流れが変えられ、法華坊町は旧河道と新しい河道の間に位置することになりました。明治時代に入ると、民家が増え、織物業が盛んになり、地域の産業を支えました。
文化の面でも発展が見られ、明治期には芝居小屋が建てられましたが、一時閉鎖。その後、大正5年に「大聖寺劇場株式会社」として再び開かれました。また、水守神社の創建や、大正5年の江沼図書館の開設など、地域の歴史や文化が深まっていきました。昭和33年には加賀市の町名となり、現在に至ります。

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