くらし シリーズ人権 みんなで考えよう。人が人らしく生きるために…

■伝える先の向こうに
◇「伝える」ということ
「伝える」という行為は、人と人とを結ぶ最も根本的な営みです。言葉を介して思いを伝え合うことは、理解を深め、共感を生み、そして社会をより良くする原動力となります。私たちは日々、家庭や学校、職場、地域、さらにはSNSなど、さまざまな場面で「伝える」ことを行っています。しかし、その「伝え方」がほんの少し違うだけで、受け取る人の心に与える影響は大きく変わります。

◇「伝える」ことの責任
インターネットの発達は、伝える情報の量と速度を飛躍的に増加させ、私たちの社会に様々な影響をもたらしました。一方、それは新たな課題も生み出しました。誰もが情報を簡単に発信することができるようになり、また、誰もがどのような情報にも簡単にアクセスできるようになった結果、その情報は本当に正しい情報かどうかが判断しにくくなっているということもその一つです。だからこそ、私たちは、その情報が正しいかどうかを、複数の情報を比べたり、情報の発信元を確認したりして見極めるということを大切にしてきました。
しかし、今、SNS上で日常的に起こってしまっていること― ある失敗や過ちを犯した人やその家族、関係者を特定し、個人情報をネット上にさらし、誹謗中傷を際限なく繰り返すことで、その人や家族の人生を破壊するというような行為― は一向に収まる気配がありません。もし、それが事実でない情報をもとに行われてしまったとしたら、私たちはどう責任をとることができるでしょうか。いや、ここでは事実であるかどうかは、もはや問題ではないのかもしれません。たとえ過ちの内容が事実であったとしても、行われたことが到底許しがたいことだったとしても、よってたかって人を追い詰め、傷付けることはあってはならないと思うのです。「それだけのことをしておいて、そんなものは当然の報いだ」という考え方があることも理解はしているつもりです。そこには被害者もいらっしゃいます。しかし、どんな事情であれ、人を傷付けることをよしとすることの先に、私たちが目指すべき、互いに尊重し合う、よりよい社会の構築などあるはずもありません。
先程も述べたように、SNSが生活の一部となった今、誰もが簡単に情報を発信できるようになりました。便利になった反面、伝えることの責任も大きくなっています。「この情報を出してよいのか」「この表現で誰かを傷つけないか」と、一呼吸おいて考える力が求められることは言うまでもありません。発信とは、ただの操作ではなく、社会とつながる行為です。だからこそ、「相手意識をもった伝える力」と「画面の外の他者を想像する力」が、これからの時代に一層大切になります。
イソップ物語の「北風と太陽」をご存知でしょうか。この物語では、北風と太陽が旅人のコートをどちらが先
に脱がすことができるか競争します。力ずくでコートを脱がそうとする北風は、自分の主張で無理やり相手を変えようとすることに似ているような気がします。一方、太陽は、無理やりではなく、旅人が自らコートを脱ぐように仕向けます。これは、相手が自ら気付き、変わろうとすることを促す関わりです。私たちに今求められているのは、まさしく太陽のような関わり、伝え方なのかもしれません。

◇伝える先の向こうに
過ちを犯した他者は悪であり、それを語る自分は正義である――。そう感じた瞬間、相手を慮る心を見失ってしまうことがあります。また、匿名性の中で同じ考えの人が集団となった時にはその傾向は一層強まります。
誰もが陥る可能性があるからこそ、私たちは自分を振り返ることを怠ってはなりません。
この夏、岐阜県の代表として甲子園で活躍した県立岐阜商業高校の選手たちのプレーから、多くの人が勇気と感動をもらいました。SNS上でも、応援する温かい言葉や、選手の努力をたたえる投稿があふれました。私は、「伝える」という行為は、本来、人と人とをつなぐ架け橋となるものであると信じています。
「伝える」という言葉には、「手渡す」という意味もあります。伝える先の向こうに、誰かがいることを忘れずにいたいものです。