くらし 【市民記者が行く!】広報サポーターレポート

公募で選ばれた市民記者が、市内のイベントや話題のスポット、名物市民などを取材し、その魅力を市民の目線で伝えます。

吉﨑裕樹さん

■西尾が誇る昭和のベストセラー作家 尾﨑士郎の生涯
▽『人生劇場』と宮崎海岸
「彼の頭には、郷村にちかい宮崎海岸の白い砂浜がぽうっとうかんできたのである。欲情を唆そそる海の色。岩のあいだをぬって陽ざしの中に燃えるような海水着の色がチカチカとひらめく。」
これは、ある小説の主人公が吉良町の宮崎海岸を思い浮かべている一節。川端康成が絶賛し、14度も映画化されたその小説は、西尾で生まれた尾﨑士郎の代表作『人生劇場』です。

▽誰からも愛された小説家
尾﨑士郎は、明治31年2月5日に、現在の吉良町上横須賀にある名家「辰巳屋」の三男として生まれました。幼い頃から夏目漱石に憧れ、23歳の頃「時事新報」の懸賞小説で第二等に入選し、小説家としての人生を歩み始めます。しかし、『人生劇場』を生み出す35歳までの間は、小説家として芽が出ませんでした。
そんな彼の周りにいたのは、川端康成を始めとした著名な文人。士郎は宵越しの金は持たず人を招いては酒を振る舞い、多くの人に愛される性格から、周りには自然と人が集まってきました。 妻の宇野千代が、「尾﨑は人に好かれ過ぎるというのが唯一の欠点」との言葉を残すほどだったそうです。

▽未来に残す言葉
やがて宇野千代と別れ、次妻の古賀清子との間に第二子の長男が生まれます。50歳で誕生した息子を前に、あまり長くは共にいられないと悟った彼は「生前の遺言」として次の言葉を送りました。
「しかし、そこでくじけるな。くじけたら最後だ。堂々とゆけ。」今でも横須賀小学校には、この言葉が彫られた石碑があり、子どもたちの心の奥底に刻まれています。
また、西尾高等学校の校歌も作詞している尾﨑士郎。1964年に66歳でこの世を去りますが、今でも西尾で育つ人々は、どこかで彼の言葉に触れているかもしれません。
蛇足ですが尾﨑士郎の一人目の妻宇野千代は、2026年秋から始まるNHK連続テレビ小説のモデルとなっています。尾﨑士郎が登場した際には、「この人は西尾出身だよ!」と鼻を高くしながら説明できるよう、今から準備しておきましょう。