文化 ゆかりの3市綾部に集結=九鬼氏の足跡たどり縁つなぐ=
- 1/23
- 次の記事
- 発行日 :
- 自治体名 : 京都府綾部市
- 広報紙名 : 広報あやべねっと 令和7年11月号
初代綾部藩主・九鬼隆季(たかすえ)のルーツで、志摩国(三重県)の鳥羽を拠点に水軍の将として活躍した九鬼氏。父子が東西両軍に分かれた関ヶ原の戦い、江戸幕府が介入したお家騒動を経て、内陸の丹波綾部と摂津三田(兵庫県)へ移りました。この縁をきっかけに3市の相互交流を深め、地域の魅力発信や観光振興などにつなげようと、市や市教育委員会、市内関係団体でつくる実行委員会は10月21日、「九鬼氏ゆかりのまちサミットin綾部」を開催。鳥羽市や三田市の関係者など150人が、九鬼氏の歴史を振り返るとともに、〝縁〞の発展に期待を膨らませました。
※「九鬼隆季」の「鬼」は環境依存文字のため、置き換えています。正式表記は本紙をご覧ください。
◆信長や秀吉に仕えた大名
九鬼氏は、南北朝時代から安土桃山時代にかけて、志摩国・伊勢国を中心に勢力を振るった豪族です。11代当主・嘉隆(よしたか)は戦国、安土桃山時代に織田信長や豊臣秀吉の下で水軍大将として活躍。志摩国を治める大名にのし上がり、文禄3(1594)年に鳥羽城(三重県鳥羽市)を築きました。
慶長2(1597)年には嘉隆の子・守隆(もりたか)が家督を継承しました。その後、同5(1600)年、関ヶ原の戦いが起こると嘉隆が西軍、守隆が東軍に分かれて参戦。敗れた西軍側についた嘉隆は、自害してその生涯を終えます。
◇九鬼氏家系図

資料館「第26回特別展示」パネルから一部を抜粋
◆家光の裁定により国替えに
寛永9(1632)年、守隆が亡くなると、跡継ぎの座を巡って、三男・隆季と五男・久隆(ひさたか)の間で家督争いが勃発。これに江戸幕府が介入し、3代将軍・徳川家光の裁定により、隆季は丹波綾部に、久隆は摂津三田にそれぞれ国替えを命じられました。こうして九鬼氏は分裂し、戦国の世に名をはせた水軍は消滅することになりました。
◆末裔(まつえい)や関係者などが参加
サミットは、あやテラス・ホール(青野町)で開催しました。会場には、綾部藩九氏の末裔で熊野本宮大社(和歌山県田辺市)の九家隆宮司をはじめ、鳥羽市や三田市の関係者のほか、市民などが集結。九宮司は開会に当たり「3市の新たな発展につながる機会にしてほしい」と述べました。
基調講演は、九度山・真田ミュージアム(同県九度山町)の北川央(ひろし)名誉館長が「九鬼水軍の歴史と九鬼嘉隆・守隆の生涯」と題して登壇。綾部藩と三田藩の家紋が違うことについて「別系統の九鬼家の家紋。嘉隆は『左三つ巴』を使っていたが、守隆の代で『七曜』になった。家が分かれた際に、それぞれが別のものを引き継いだ」と解説しました。
◆「九鬼氏を次の世代へ」
パネルディスカッションでは、九鬼氏に詳しい4人が意見交換。「嘉隆の生涯は大河ドラマになるほどのユニークさがある」「サミットを機に、より多くの人が九鬼氏に興味・関心を持つような取り組みを」「ゆかりの地は3市以外にもある。裾野を広げては」などと、未来への期待を膨らませました。
最後に実行委員長の山崎市長が「九鬼氏ゆかりのまちサミット宣言」を朗読。「ここに集まった皆さんとともに、歴史資料の共有や文化イベント等を通じた相互理解と交流促進を図るとともに、次の世代に継承していく」と宣言し、閉会しました。
ロビーでは九鬼氏にまつわる遺物・古文書やパネルを展示。資料館で実施中の企画展(12月25日まで)で、一部紹介しています
■九鬼氏ゆかりの文化的遺産を一部紹介!
◇隆興寺(神宮寺町)
綾部藩九鬼家の菩提寺。境内には、同家代々の墓所をはじめ、隆季が伏見稲荷大社(京都市伏見区)から特別に遷宮を許された稲荷神社などがあります。
10月22日には、関係者が市内のゆかりの地を視察。隆興寺では焼香をあげました
※「綾部藩九鬼家」の「鬼」は環境依存文字のため、置き換えています。正式表記は本紙をご覧ください。
◇正暦寺(寺町)
隆季が入部して以来、九鬼家の祈願寺に。現在の伽藍(がらん)(山門・本堂・庫裏・鎮守堂など)は、九鬼家の庇護(ひご)によって江戸時代後期に整えられました。九鬼家から、参勤交代の安全祈願に信仰されていた不動明王立像や駕籠(かご)の寄進を受けたといわれています。1月に開催の「不動明王大祭」では、交通安全などを願う大護摩供養が行われます。
※「九鬼家」の「鬼」は環境依存文字のため、置き換えています。正式表記は本紙をご覧ください。
◇綾部太鼓
九鬼水軍の陣太鼓に由来しています。現在では、祭りやイベント、式典などで披露され、会場を盛り上げます。
◇綾部踊り
踊りの動作は、農民が坂の上にあった陣屋に年貢米を納める姿を表しているといわれています。8月のお盆の時期に「あやべ盆踊り大会」が開催されます。
◆九鬼氏以外にも!
◇山家城址公園(広瀬町)『谷氏』
羽柴(豊臣)秀吉に仕えていた初代山家藩主・谷衛友(もりとも)が構えた陣屋跡。市内で唯一、高石垣が残っています。サクラや紅葉の名所としても親しまれています。
◇上林城址(八津合町)『上林氏 藤懸氏』
上林一帯を治めてい氏の居城。山の形から蝸牛ケ城(かたつむりがじょう)とも呼ばれていました。後に入部した藤懸(ふじかけ)永勝によって、麓に陣屋が築かれました(藤懸陣屋)。
