- 発行日 :
- 自治体名 : 愛媛県松野町
- 広報紙名 : 広報まつの 令和7年12月号
河後森城で築かれた建造物について、これまでは主に櫓(やぐら)や門といった防御施設を中心に解説してきましたが、今回からは実際に人々が生活を営んだ居住施設について紹介したいと思います。
まずは、本郭から西側に連なっていく曲輪(くるわ)(平坦部)の端に位置する西第十曲輪です。西第十曲輪では、その中央部で2棟の建物が検出されていますが、このうち新しい段階とみられる16世紀頃の建物は、馬屋(うまや)を備えた番小屋(ばんごや)であったと推定しています。建物の規模は南北約5m×東西約9m、掘立柱(ほったてばしら)という地面に直接穴を掘って柱を立てた構造の建物で、屋根は板をふいたものでした。
また、この建物の部屋は、柱穴の並びから見て大きく二つのスペースに分かれていたようです。中央の柱列から西側は柱と柱の間が約2mと当時の通常の間隔となっており、番兵が詰めるための板敷きの部屋が設けられていた可能性が高いと言えます。一方、東側は柱間寸法が約2.5mと広いため、土間としての使用が見込まれ、馬を係留(けいりゅう)していた空間であったと推測しています。
(続く)
