文化 あさくら歴史散歩

市内の歴史遺産のロマンを追いかけるシリーズ

■四十.我が心安し~神功皇后と羽白熊鷲(はじろくまわし)~
ヤマト王権に従わない豪族を討つために九州に来た神功皇后は、武内宿禰(たけのうちのすくね)の策によって羽白熊鷲を本拠地である荷持田(のとりだ)へ敗走させます。しかし、熊鷲がいる限り民衆への被害は減らず、この地域がヤマト王権に従うことがないと考えた皇后は、熊鷲に対し最後の決戦を挑みます。戦いに備え武器を整えるため、矢の材料(箆(や)の)を調達したことから「矢野竹」という地名が遺(のこ)ったと伝えられています。激しい戦いの結果、皇后軍が勝利し、神功皇后が熊鷲を討ち取って「我が心安し」と言ったことから「安(夜須)」という地名が遺ったと伝えられています。この後、神功皇后は三韓征伐に向かいますが、その時の行動から遺ったと伝えられる地名が朝倉付近にみられます。
神功皇后に敗れた羽白熊鷲のものと伝えられる墓が、あまぎ水の文化村内にあります。

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