- 発行日 :
- 自治体名 : 福岡県朝倉市
- 広報紙名 : 広報あさくら 第417号(令和7年11月号)
市内の歴史遺産のロマンを追いかけるシリーズ
■三十九.蜷城をめざして「蜷城」の由来と美奈宜神社(1)
散歩の舞台は蜷城地域へ―。今回から「蜷城」の由来と美奈宜神社に触れていきます。美奈宜神社の創建は、神功皇后が九州のヤマト王権に従わない勢力を治めるため、この地域にやってきた際だと伝えられています。
当時、王権に従わない勢力の一つ羽白熊鷲(はじろくまわし)は、朝倉地域の荷持田(のとりだ)を本拠として民を苦しめていました。神功皇后は熊鷲を従わせるため、三輪の松狭宮(まつのおのみや)に入ります。熊鷲の様子をうかがうため高い山に登ると、熊鷲は屈強で体には翼があ
り、空から兵を襲い簡単に勝てないと気づきます。皇后は配下の武内宿禰(たけのうちのすくね)と図り、宗像の安曇氏(あずみ)の助けを借りて蜷にな(巻き貝)十万石を入手すると、熊鷲との一戦に臨みます。新たな城で会談を行うと熊鷲を呼び出した皇后は、熊鷲が城に入るや否や城を崩します。蜷で造られた城はもろく、熊鷲を押しつぶします。熊鷲は命からがら逃げました。
この伝承から、この地を「蜷城」と呼ぶようになったと伝えられています。
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