文化 芦屋歴史紀行 その三百五十四

10月15日より、芦屋歴史の里では特別展「金屋遺跡展」を、芦屋釜の里では開館30周年記念特別展「芦屋釜の美と鋳物師の技」を開催しています。前回に引き続き、金屋遺跡と芦屋釜を紹介します。第2回は、芦屋釜と芦屋鋳物師(あしやいもじ)です。

■芦屋釜とは
芦屋釜は、南北朝時代(14世紀半ば頃)から筑前国芦屋津金屋(あしやつかなや)(現在の芦屋町中ノ浜付近)で活動した鋳物師たちによって製作された鋳鉄製の茶の湯釜です。「真形(しんなり)」と呼ばれる端正な形や胴部に表される文様が美しいことから、室町時代の京で公家や武家などの貴人たちに好まれ、大変な人気となりました。芦屋釜の製作は江戸時代初期頃に一度途絶えますが、現在でもその芸術性、技術力への評価は高く、国の重要文化財に指定された茶の湯釜9点のうち、8点を芦屋釜が占めています。

■芦屋鋳物師
鋳物師は、砂や粘土などで鋳型を造り、そこに溶けた金属を流し込んで製品を造る職人のことです。芦屋で活動した職人を芦屋鋳物師と呼び、その高い技術力で、芦屋釜や梵鐘(ぼんしょう)、鰐口(わにぐち)などを製作しました。芦屋鋳物師は、山口に拠点を置いた大内氏の庇護下に置かれ、彼らの製作した芦屋釜は、大内氏やその関係者から足利将軍家などに献上されました。
芦屋鋳物師の中で、最も多くの作品に名を遺したのが、大江宣秀(おおえのぶひで)です。宣秀の作品の代表的なものに、根津美術館(東京都)所蔵の重要文化財「芦屋霰地松梅(あられじまつうめ)図真形釜」や今八幡宮(いまはちまんぐう)(山口県)所蔵の重要文化財「鰐口」などがあります。重要文化財「鰐口」は、芦屋釜の里特別展で展示中です。

■芦屋釜の歴史
芦屋釜製作の始まりはよくわかっていません。全国的な傾向として、鎌倉時代後半ごろから各地に鋳物師が定着したことが知られており、芦屋鋳物師も例外ではありません。芦屋鋳物師の最も古い記録は、正平11(1356)年、山田若宮八幡宮(やまだわかみやはちまんぐう)(宮若市)に寄進された梵鐘で、芦屋釜の製作開始もその時期を遡ることはないと考えられています。15世紀に入ると芦屋釜が史料に散見されるようになります。有名なものに、応永14(1407)年、醍醐寺三宝院満済(だいごじさんぼういんまんさい)が宗像大宮司氏経(むなかただいぐうじうじつね)へ送った、釜の到着の遅れを催促する内容の書状があります。15世紀後半には、大内氏を媒介とした京での需要の最盛期を迎えます。しかし、16世紀になると、茶の湯文化の担い手や茶道具の好みが変化し、芦屋釜の需要は大きく衰退します。その後も、大内氏の庇護下で活動を続けますが、弘治3(1557)年に大内氏が滅亡し、芦屋鋳物師の活動も慶長5(1600)年に高倉神社(岡垣町)に納められた梵鐘を最後に、途絶えることとなります。彼らの一部は、博多に移り住んで鋳物業を続けたことが知られています。
(芦屋歴史の里)