文化 唐ワンくんの唐津今昔物語157

◆「唐津の記念物」(38)
~唐津の史跡・名勝・天然記念物~
▽大久保加賀守忠職碑(おおくぼかがのかみただもとひ)(市指定史跡)

大久保加賀守忠職は、慶安(けいあん)2(1649)年に播磨国(はりまのくに)明石(現在の兵庫県)から唐津に入部してきました。その頃、唐津は寺沢(てらざわ)氏が改易されて、一時幕府領となっていました。忠職は、唐津藩主になると家臣に知行地(ちぎょうち)(家臣に給与として与えた土地)を与えるのをやめ、領地全体を藩の直轄化とするなど、幕藩体制を定着させる改革を行いました。忠職が寛文(かんぶん)10(1670)年に67歳で死去した後は、息子の忠朝(ただとも)が跡を継ぎました。忠朝は、村の庄屋を期限付きで転勤させる転村庄屋制度(てんそんしょうやせいど)を導入し、農村支配の体制を整備しました。延宝(えんぽう)6(1678)年に、松まつだいら平氏と入れ替わりに下総国(しもうさのくに)の佐倉に転封となり、以降唐津は、松平氏、土井(どい)氏、水野(みずの)氏、小笠原(おがさわら)氏と譜代大名の藩主が続きました。
忠職の墓碑(ぼひ)は、和多田本村の大久保緑地公園(旧丸宗公園)にあります。墓碑の高さは約5.4mで、基壇(きだん)は3段からなっています。墓碑は寛文12年(1672年)に息子の忠朝によって建立されたものと伝えられ、正面に長文の銘が刻まれています。裏面には、延宝6(1678)年および貞享(じょうきょう)5(1688)年に忠朝の石碑建立を称賛した銘文が刻まれています。現在は、墓碑の周辺が大久保緑地公園として整備されており、春には桜が美しく咲いています。

問合せ:生涯学習文化財課
【電話】72-917