- 発行日 :
- 自治体名 : 熊本県宇土市
- 広報紙名 : 広報うと 令和7年12月号
■良馬の生まれた宇土の牧場(まきば)
かつて、宇土には馬を放牧する「牧場」があったことをご存じでしょうか。宇土半島では、古代から江戸時代にかけて、牧場が設置されて、多くの馬が育てられました
◇江戸時代以前の牧場
『続日本紀(しょくにほんぎ)』によると、最初に宇土に牧場が置かれたのは、慶雲(けいうん)4年(707)のことです。全国23カ所の牧場とともに設置されたと書かれています。これらの牧場は、古代律令制における中央の管理のもと運営されていましたが、貞観(じょうがん)6年(864)には廃止されています。
古代の牧場については、設置と廃止の時期の記録が残るのみで、牧場の場所や規模に関する正確な記録が残っておらず、詳細は不明です。
江戸時代に書かれた『肥後国誌』によると、古代の牧場が廃止されてから約180年後の永承4年(1049)、関白藤原道隆(ふじわらみちたか)が、宇土半島に「千町牧(せんちょうまき)」を設置したとあります。さらに、長浜町笠瓜(かさうり)に牧神社が建立され、当地域を中心に馬の飼育が行われたようです。寿永3年(1184)に行われた有名な宇治川の戦いで、源頼朝に味方した武将・佐々木高綱(たかつな)が宇治川を渡るときに乗っていた名馬「池月(いけづき)」は、一説には宇土の牧場で生まれたとも伝えられています。
慶長5年(1600)に肥後一国の領主となった加藤清正は、「千町牧」の規模を縮小し、長浜村周辺に「百町牧(ひゃくちょうまき)」として再び牧場を設置しました。また、牧奉行(まきぶぎょう)などの役人を置いて、牧場の管理を行いました。この際に牧神社も笠瓜から長浜町字旧牧神(きゅうまきじん)に移されたようです。
◇江戸時代の牧場
江戸時代に入り、細川氏が宇土を統治するようになると、牧場の状況もはっきりと見えてきます。200町(約200ヘクタール)の広さがあった宇土の牧場は、熊本藩の管理下に置かれ、実際の管理は長浜・網津両村の庄屋が行いました。
毎年4月上旬になると、熊本藩主が宇土の牧場を訪れ、馬を捕獲することが慣例となっており、ここで捕獲された馬が藩主のお召(め)し馬として飼育されました。
一方で、馬の管理や飼育は簡単ではなかったようで、寛永16年(1639)には、多くの死馬を出し、急遽薩摩藩から母馬を調達しています。死馬が出る原因として、火事や病気などに加え、野犬による被害もあり、定期的に鉄砲による野犬駆除が行われました。
◇牧場の終焉(しゅうえん)
多くの良馬が生まれた宇土の牧場は、明治3年(1870)に廃止されました。
現在、牧場があった場所は木々に覆われ、往時をしのぶのは困難ですが、周辺には江戸時代後半に網津町馬門(まかど)に移された牧神社や、馬の守護神である馬頭観音(ばとうかんのん)が残され、牧場の面影がしのばれます。
参考文献:
・『新宇土市史』(通史編第二巻)
・『宇土の今昔百ものがたり』
問合せ:文化課 文化係
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