文化 『西南戦争と150年後のぼく』

北海道出身のJICAグローカルプログラム実習生が、西南戦争にまつわる史跡を巡り、心に感じたことを綴りました。

■その三「篠原国幹戦没の地」
玉東町に来て3日目のこと。まだ何も知らなかった僕は自動車で連れられて山を登った。段々畑を見るのも初めてだった。山肌がしましまになっているのが面白い。いよいよ頂上に差し掛かる。道の左は石垣、右のガードレールの先は下った崖になっている。遠くには木葉山。車がぐわんと曲がった先にはひらけた場所が出てきた。そこには「篠原国幹戦没之地」と書かれた石碑があった。その前には花とペットボトル飲料が供えられている。
篠原国幹は薩軍の一番大隊を率いた人物だ。戦場でマントを翻して戦い、そして銃弾を浴びて亡くなった。横には大きな桜の木。その木は緑色の葉っぱを茂らせて、石碑をかばうかのように生えていた。桜もこの町の人々も彼のことを気にかけているようだった。この場所にはいま、穏やかな空気が流れ込み、木漏れ日が篠原国幹を照らしていた。
長谷川 健太