- 発行日 :
- 自治体名 : 熊本県湯前町
- 広報紙名 : 広報ゆのまえ 2026年2月号
中神漱泉が記した「球磨三十三所彼岸詣(ひがんもうで)」から昭和3年の三十三観音めぐりを紹介します。
■観音めぐり3日目
観音めぐり2日目の夜は、相良村の廻り観音近くの農家に宿を借り、酒肴のもてなしを受けています。唄や踊りもありの大賑わいに疲れも忘れ、漱泉(そうせん)も宝村も前後不覚になるまで大酔しました。
翌日の9月22日。「今日こそは愈々(いよいよ)我が家に帰り着く予定の日なり」とあるので、3日間で湯前まで戻る計画だったようです。
旅籠屋(はたごや)とは違ってゆるりと起き、朝食を済ませ7時半に出発しています。初日は午前3時出発、2日目は午前4時起床だったので、それに比べればゆっくりと眠ることができたようです。
まずは深田の内山観音を目指して、小高き丘の馬車道を登り超えています。谷の合間の迫田(さこだ)を見て「このわたり(辺り)の谷狭けれど迫田の稔りよき、実に今年は山田迫田のあたり年なり」と記しています。道の両脇の山では、石材採掘しているところが数か所あり、段々の田の水を落とす老人を見て俳句を詠んでいます。深田村は、球磨郡で石倉や塀などに広く利用されている深田石の産地でした。
谷深く 石割る音や 秋の晴れ 宝村
石を採る 山をそびらや 水落とす 漱泉
※「そびら」は背中や後ろの意味
■深田から黒肥地へ
やがて内山観音(19番)にたどり着き、参拝して、朝茶の接待を受けています。
その後深田小学校の裏から登って深田観音(20番・植深田(うえふかだ)観音)に参り、急な石段を下り往還に出ました。さすがに3日目で、一行の健脚も「いたく疲れたる足どり」と記しています。
続けて球磨川近くの岩立観音(22番・上手(うわて)観音)に参拝。さらに「それより数百歩にして須恵村入口の観音を経て」と記してあります。これは、上手観音の近くにある覚井(かくい)観音のことと思われます。一行は近くの茶店に立ち寄り昼食を済ませました。そこからさらに黒肥地の雑木山の石段を登り、栖山(すやま)観音(23番)に参拝。高さ283センチの巨大な千手観音を伏し拝んでいます。
※本文は「恵山観音」となっているが、栖山の書き誤りか誤植と思われる
『人吉新報』の連載5回目はここで終わり、残るは水上村の札所2カ所と湯前町の3カ所ですが、教育委員会には5回目までのコピーしか残っていません。一番知りたい湯前の札所の部分が欠けているのは残念ですが、当時の観音めぐりや沿道の景色などを知ることができる貴重な資料であることに変わりはありません。
教育課学芸員 松村祥志(しょうじ)
