- 発行日 :
- 自治体名 : 大分県竹田市
- 広報紙名 : 広報たけた 2025年12月 NO.249
■軍艦比叡のマスト(広瀬神社)
広瀬武夫(ひろせたけお)海軍中佐は、明治元(1868)年5月27日、現在の竹田市茶屋ノ辻に岡藩士広瀬重武(ひろせしげたけ)の次男として生まれた。
明治18(1885)年、海軍兵学校に入学。卒業後の明治22(1889)年、練習艦比叡(初代)に乗り組み遠洋航海に出かけた。その後、ロシア駐在武官などを経て、日露戦争時には戦艦朝日の水雷長として従軍。明治37(1904)年3月27日、第2次旅順港閉塞作戦にて戦死。昭和10(1935)年には、広瀬中佐を主祭神として広瀬神社が創建された。
さて、かつて広瀬神社のシンボルでもあったマストは2代目比叡のものである。大正3(1914)年に竣工。2度の大改装を経て、第2次大戦には高速戦艦として活躍した武勲艦で昭和17(1942)年11月、第3次ソロモン海戦で米艦隊と交戦の末、沈没。平成31(2019)年、米調査チームにより水深985メートルの南溟(なんめい)に沈む姿が確認された。
広瀬神社のマストは、広瀬中佐と比叡の縁により昭和12(1937)年に第2次改装に伴うマストの取り替えの際、海軍より下付された。当時のマストは、帆柱としての役割は終えていたが、高さを活かして航海灯や信号旗等のためにまだ使われていた。杣谷に面する岩上に設置されていたが、老朽化のため平成20(2008)年に解体。現在では台座と鎖のみ残っている。
広瀬武夫記念館に保存されている広瀬中佐の乗艦だった戦艦朝日のカッター前の丸木は、マスト本体の一部であり、ワイヤーや金具類もともに移された。
(馬場 尚登)
