文化 小村寿太郎がつないだ平和と友情(1)
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- 発行日 :
- 自治体名 : 宮崎県日南市
- 広報紙名 : 好きです にちなん 2025年10月号
ポーツマス条約締結120周年
ポーツマス市との姉妹都市盟約締結40周年記念
※人物名は歴史上の人物としてとらえ、敬称は省略しています。
明治の外交官「小村寿太郎」が活躍したポーツマス条約の舞台、アメリカ・ポーツマス。日南市は、この歴史をきっかけに姉妹都市となり、40年にわたり交流を続けています。
■世界の注目が集まった米国ポーツマス
日露戦争を終結に導くための会議の場として選ばれたポーツマス。当時、この戦争の行く末に、世界が注目する中、小村寿太郎はロシアとの交渉に臨むため、日本の代表としてアメリカへ旅立ちました。
◇ポーツマス市(2023年時点)
[位置]北緯43度4分1秒 西経70度46分22秒
※札幌市役所本庁舎が北緯43度3分43秒
[人口]2万2332人(日南市の約半数)
[平均年齢]42.4歳
(日南市は52.6歳※令和2年国勢調査)
◇ポーツマスへの歩み
1905年
7月8日 横浜港をミネソタ号で出発し太平洋を横断(1)
7月20日 シアトルに到着(2)、同日中に列車で東に向かう
7月25日 ニューヨークに到着
8月5日 アメリカ巡洋艦タコマ号でニューヨークを出発
8月8日 正午過ぎにポーツマスに到着
8月10日 本会議開始(3)
9月5日 ポーツマス条約(日露講和条約)調印
〃 夜11時ごろ、列車でポーツマスを出発
9月6日 ボストンを経由してニューヨークに到着
9月27日 特別列車でニューヨークを出発
10月2日 カナダのバンクーバーから日本に向け、エンプレス・オブ・インディア号で出発
10月16日 横浜港に到着
※詳細は本紙をご覧下さい。
1 船中の小村寿太郎と随行員
ロシアとの交渉に臨むため、小村と随行員たちはアメリカに向け横浜港を出発しました。写真の一番右に写っている本多熊太郎は、小村が最も信頼する秘書官として約10年間献身的に小村を支え、小村外交三大偉業(日英同盟締結・ポーツマス条約締結・関税自主権回復)の樹立に大きく貢献しました。
2 シアトルでの歓迎
太平洋を横断してアメリカ・ワシントン州のシアトルに到着した小村一行を出迎えたのは、シアトル市長をはじめとする地元の人々や在留日本人など、大勢の群衆。彼らは、世界が注目するロシアとの交渉に臨む小村一行を熱烈に歓迎しました。
小村の側に飫肥出身の人物?
写真には、飫肥出身で当時シアトルに住んでいて、後に日本初の住宅専門会社とされる「あめりか屋」を設立した橋口信助と思われる人物が写っています。橋口は、小村の甥の義弟にあたり、歓迎準備委員の一人としてこの日を迎えています。
※詳細は本紙をご覧下さい。
3 講和会議期間中の小村
日本とロシアの全権代表団は、ポーツマスの隣町ニュー・キャッスルにあるウェントワースホテルに滞在しました。講和会議も大詰めになってきたころ、日露の非公式会見がここで4回行われました。
講和本会議と条約調印が行われたのは、ポーツマスと川を挟んだ対岸のメイン州のキタリーという町にあるポーツマス海軍工廠でした。小村はホテルと会議場とを運転手付きの自動車で行き来していました。
問い合わせ:生涯学習課
【電話】31-1145
