文化 薩摩スチューデント渡欧160周年記念「れいめいの風」

■パリ万国博覧会に、薩摩藩は独自参加!
留学生が渡欧した2年後の1867年4月1日から10月31日までの期間、フランスで「パリ万国博覧会」が開催されました。42ヶ国が参加し、日本が初めて参加した国際博覧会として有名です。日本からは、江戸幕府(日本大君政府)に加え、薩摩藩(薩摩琉球太守政府)と佐賀藩(肥前太守政府)が出展しました。
薩摩藩の展示館では、薩摩焼や琉球の産物、漆器、扇子、煙草など100種類以上の産物を約400箱出品した他、コンプラ瓶に詰めた状態の焼酎も出品されました。さらにモンブラン伯爵の発案で日本初の勲章「薩摩琉球国勲章」を作成し、ナポレオン3世などフランス高官に授与するなど、薩摩藩は幕府と別の独立国のように振る舞いました。
このことが、幕府と薩摩藩の対立を生むことに繋がり、幕府の権威を弱める要因の一つとなりました。当初から幕府は万博参加に対して消極的な態度を示していました。そこに留学生視察員の新納・五代らがモンブラン伯爵と直接交渉を図り、薩摩藩の博覧会参加を進めたことで幕府も傍観を許されず、参加を決定することとなります。この時、徳川昭武(慶喜の弟)の随行員として渋沢栄一が参加しています。その後、ヨーロッパでは、日本の美術品や工芸品への関心が深まり、やがて「ジャポニズム」という日本ブームを生みます。英国留学やパリ万博への出展は、薩摩藩が日本の近代化をリードする役割を果たし、その後の歴史に大きな影響を与えました。
参考文献:犬塚孝明著「薩摩藩英国留学生」 記念館スタッフ 南川 浩幸

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