文化 文化財コラム

■内間御殿の整備
今年度も史跡「内間御殿(うちまうどぅん)」の整備が始まります。
内間御殿は西原町字嘉手苅に所在する琉球王統第二尚氏の始祖、尚円(しょうえん)王(金丸(かなまる))が王になる直前に住んでいた旧邸宅跡地に建てられた神殿を中心とする遺跡です。
17世紀に編纂(へんさん)された琉球の歴史を記した「中山世鑑(ちゅうざんせいかん)」には、伊是名島諸見(いぜなじましょみ)に生まれた金丸が、首里で越来(ごえく)王子(のちの尚泰久(しょうたいきゅう)王)と出会い、尚泰久王即位とともに内間地頭に任命され、琉球の財政と外交を担当する役職である御物城御鎖側(おものぐすくうさぬすば)に登用されたことが記されています。しかし尚泰久王の没後に即位した尚徳(しょうとく)王と対立し、金丸は内間に隠遁(いんとん)しますが、1469年、金丸は臣下に推され、尚円王として王座に就きました。
尚円王没後から約190年経った1666年頃、摂政(せっしょう)だった羽地朝秀(はねじちょうしゅう)の進言で尚質(しょうしつ)王の時代に、第二尚氏の聖地として尚円王の旧宅跡地に茅葺(かやぶき)の神殿(東江御殿(あがりーうどぅん))を建てたことから内間御殿の整備が始まります。尚貞(しょうてい)王時代には、神殿の周囲を竹垣で囲い、茅葺から瓦葺(かわらぶき)に替え、東江御殿の北側には西原間切の住民によって西江御殿(いりーうどぅん)が建てられました。さらに尚敬(しょうけい)王の時代には神殿の防犯強化のため竹垣を石垣に変え、庭内に「先王旧宅碑(せんおうきゅうたくひ)」とそれを納めた覆堂(おおいどう)を建て、本門に「致和(ちわ)」の扁額(へんがく)を掲げ、琉球王国の聖地として整備が完成しました。
時代は進み、沖縄戦で内間御殿の主要な施設は被災・焼失しましたが、戦後、東江御殿や西江御殿は地元の有志より再建されました。現在は国指定史跡となり、未来に遺跡を継承するための整備に取り組んでいます。今年度の内間御殿整備は、東江御殿の周囲を囲う石垣の北東部分の解体工事を行なう予定です。石垣は所々に戦災や経年劣化による崩落がみられるため、一度石垣を解体し、積み直す工事を行ないます。整備工事では普段見る機会が少ない石垣の構造や土に埋もれている部分を観察することができます。工事中は地域のみなさまにご迷惑をおかけすることもあるかと思いますが、ご協力よろしくお願いします。なお、工事中も拝みをすることはできます。


※尚円王と内間御殿に関係する王代一覧

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