教育委員会は、史跡文化財マップを作成し、町内にある史跡や文化財を紹介しています。
連載最終回を迎えるに当たり、今月号では、戦争に関連する史跡や文化財をお伝えします。
■戦車退避壕跡
太平洋戦争末期、アメリカ軍の上陸に備え、戦車を隠すために、町内数カ所の樹林に戦車退避壕が配備され、迷彩色の網で戦車を覆い隠しました。
はっきりした形で残っているのは、矢部地区にあるものが唯一です。その壕は縦15メートル、横5メートル、深さ2メートルの大きさですが、当時はもっと大きかったと思われます。
■帯広第2飛行場跡
昭和19(1944)年、開場されました。約180ヘクタールの広大な敷地に滑走路(長さ2千メートル、幅20メートル)と誘導路が北6線から北8線まで及んでいました。
戦局の急迫に伴って、いわゆるオトリ飛行場として偽装した木製の飛行機は、掩体壕(えんたいごう)(装備などを敵の攻撃から隠し守る施設)に隠されていました。
■北部91部隊と給水塔
北部91部隊の軍施設とともに昭和18年(1943)年、給水塔(高架水槽)2基が建設されました(コンクリート製、高さ約20メートル)。
1基は飛行機の発着に支障を来すとして取り壊され、もう1基は戦後、91部隊兵舎が国立十勝療養所となった後も、平成8(1996)年まで使用されました。
自然倒壊の恐れがあることから、平成17(2005)年3月に解体撤去されました。
■北部91部隊弾薬庫跡
陸軍の弾薬などを保管するため昭和18(1943)年ごろに建設されました。
戦後、土地と建物は払い下げられ住宅に改修されましたが、令和元(2019)年9月に取り壊されました。
コンクリートの分厚い壁や建物の数倍に及ぶ基礎部分が弾薬庫の面影を残していました。
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