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追悼

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宮崎県西都市

第四~八代西都市長 名誉市民 中武重美(なかたけしげみ)氏

去る7月10日、西都市長を5期務められた名誉市民の中武重美氏が94歳で亡くなられました。
中武氏は昭和4年、西都市に生まれ、昭和23年に国の機関である総理庁に入庁されました。建設院宮崎県駐在官として務めた後、大学進学のため、退職し上京。昭和26年から建設省に入庁し、以来、昭和41年まで国の職員として務められました。その後、昭和41年から44年まで本市の助役を務められた後、昭和45年4月から63年12月まで連続5期・19年間の長きにわたり、市長として本市の発展に大きく貢献されました。
中武氏は助役時代に本市中心部の大火(昭和42年の桜町大火など)を経験し、災害に強い近代的な市街地にする土地区画整理の必要性を痛感されていました。そのため、都市計画事業に積極的に取り組み、約103haに及ぶ市街地の土地区画整理事業を推進しました。
また、市長就任当時は未改良の農地が多く、水田は毎年水不足に悩まされ、畑地にはかんがい施設がないために計画的な輪作ができないという状況にありました。そこで生産者との座談会を開催し、対話を重ねながら、在任中に計26地区、2427haもの圃ほ場整備を実施。結果、本市は県内有数のハウス園芸地域となりました。
ほかにも、県内初の公設民営の救急病院である西都市西児湯医師会立西都救急病院や、市民体育館など多数の社会体育施設の整備も行い、市民の健康増進に尽力されました。
これらの長年の功績により、中武氏は平成18年に内閣総理大臣から旭日小綬章(きょくじつしょうじゅしょう)を受章され、平成20年には本市から名誉市民の称号が贈られました。中武氏の長年に渡るご尽力、功績は本市の歴史に刻まれています。謹んで心から哀悼の意を表します。

■昭和45年から63年までの西都の主なできごと

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