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かみじま郷土話 28

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愛媛県上島町

■宝篋印塔の歴史
上島町に遺る石造物には、五輪塔(ごりんとう)や宝篋印塔(ほうきょういんとう)などがあります。どちらも中世の時代に、墓塔や供養塔として造立されました。上島町にある保存状態がよい石造物としては、願成寺の集合墓にある宝篋印塔や、国指定重要文化財に指定されている魚島の亀井八幡神社宝篋印塔があります。
宝篋印塔の起源は、10世紀の中国呉越の国王である銭弘俶(せんこうしゅく)が造った銅製の8万4千基の塔(銭弘俶八万四千塔)であるとされています。これらの一部が日本にも伝わり、13世紀頃には、宝篋印塔が日本でも造られるようになりました。
塔の造営については、紀元前3世紀のマウリヤ朝第3代の王であるアショーカ王(阿育王(あいくおう))が、戦争による侵略行為により多くの人命を奪ったことを後悔し、滅罪のために釈迦の骨を納めた8万4千基の塔(阿育王塔)を造立して国々に配ったと言い伝えられています。仏教を篤く信仰していた銭弘俶は、こうしたアショーカ王の行いにならって、同じく8万4千基の塔を造立し、中国の各地に配ったとされています。宝篋印塔という名前の由来については、銭弘俶の塔に納められた「宝篋印陀羅尼(ほうきょういんだらに)」と書かれたお経から、日本では宝篋印塔と呼ばれるようになったようです。
平成28年度から令和2年度にかけて行われた弓削島荘総合調査では、弓削島にあるこうした石造物について、専門家による調査が行われました。令和7年3月に、講師の先生をお招きして、調査の成果などを含む、中世の石造物に関する講座を開催する予定です。皆さまぜひご参加ください。

担当:生涯学習課 曽根大地

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