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第2回 史跡弓削島荘遺跡探訪・散策講座

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愛媛県上島町

■鎌田 塩田
(1)第2回史跡弓削島荘遺跡探訪・散策講座
中世の「塩の荘園」で行われた塩づくりを体験しよう!
(2)令和6年10月26日(土) 13:30~16:30 朝方雨後曇り
(3)鎌田塩田(愛媛県越智郡上島町弓削鎌田336番地)
(4)一般参加者数 26名

◆中世の「塩の荘園」で行われた塩づくりを体験しよう!
10月26日(土)に、弓削鎌田地区の鎌田塩田において、第2回史跡弓削島荘遺跡探訪・散策講座が行われました。本講座は、町民の皆さんとともに国史跡に指定されている弓削島荘遺跡について学び、その保存活用を考えるきっかけとするために継続的に開催するものです。
第2回の講座では、「中世の『塩の荘園』で行われた塩づくりを体験しよう!」と題し、揚浜式製塩を体験する場として復元整備されている弓削島の鎌田塩田において、平安時代後期から鎌倉・室町時代にかけて弓削島で行われていた塩づくりの工程を実践しながら、町教育委員会の学芸員がその技術と歴史について解説しました。
史跡弓削島荘遺跡の構成資産である大田林(おおたなばし)の塩浜(しおはま)(弓削久司浦地区)と高浜八幡神社(弓削上弓削地区)では、造成された浜床(はまとこ)(塩田の整地層)の標高から、揚浜式(あげはましき)製塩が行われていたと考えられます。揚浜式製塩では、満潮時の水位よりも高い位置に塩田を造成し、人力で海水を汲み入れます。発掘調査や出土した炭化材などの分析の結果、大田林の塩浜の浜床は13世紀にはすでに形成されており、高浜八幡神社の浜床は11世紀から13世紀までの間に形成されたと推測されます。京都の東寺に伝えられた「東寺百合文書」によると、荘内の百姓たちが塩浜(塩田)とそれに付属した製塩燃料の供給地である塩山(しおやま)を保有し、塩づくりに従事していたことがわかります。
当日は曇り空で気温が低く、塩づくりには適さない気象条件での短時間の作業となりましたが、町内外からの多くの方々に揚浜式製塩を体験していただきました。鹹水(かんすい)(濃い海水)を釜で煮詰めて徐々に塩の結晶が出てきた際は、大きな歓声があがりました。かつての瀬戸内海地方で生きる人々の生活そのものであった「塩づくり」を身近に感じることができた一日となりました。町内の多くの島々には、今もなお「塩づくり」の痕跡が遺っています。また、次回の探訪・散策講座にもご期待ください。

◇揚浜式製塩の工程
(1)海水運び
担(にな)い桶を使用して海水を汲み上げ、塩田へ運搬する。

(2)潮撒き
打柄杓を使用して、海水を塩田に撒く。

(3)砂の乾燥
撒いた海水の水分を早く蒸発させるために、駒渫(こまざらえ)(万鍬(まんぐわ))を引いて砂の表面に筋を入れる。

(4)鹹砂(かんしゃ)集め
柄振(えぶり)を使用して、8時間程度乾燥させた鹹砂を沼井(ぬい)の近くに集める。

(5)鹹水採り
集めた砂を垂舟(たれふね)と呼ばれる木製の箱に入れる。砂の入った垂舟の上から海水を流し込み、砂に付着している塩の結晶を垂舟下部の沼井に溜める。

(6)砂撒き
鹹水を採った後の砂を垂舟から塩田に戻し、砂の厚みが均一になるようにならす。

(7)荒焚き・本焚き(塩焚き)
荒焚きした鹹水を釜で煮詰める。その中にできた塩の結晶を集め、すくい上げる。

(8)塩の完成
採り出した塩を寝かせて、苦汁(にがり)を切る。

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