自然の恵みである温泉は古くからたくさんの人々の心と体を癒やし続けています。皆さんはどんなときに温泉に入りたいと思いますか?
今回は温泉の歴史や受け継がれる文化を振り返ります。温泉が持つ価値を見つめ直し、その魅力を再発見してみませんか。
■温泉の歴史と役割
県立歴史博物館 学芸員 江原幸太郎さん
温泉の歴史は古く、温泉地は今日までさまざまな文化や物語を生んできました。人々は何を求めて温泉に入るのか、どのようにして温泉が広まったのか。昨年度、県立歴史博物館で企画展「温泉大国ぐんま」を担当した江原さんの解説とともにその歴史を紹介します。
●古くから愛されてきた温泉
700年代に書かれた「日本書紀」に天皇の温泉行幸記録が残っており、少なくとも奈良時代には温泉を利用していたと考えられます。ただしこの時代の温泉の記録は天皇や貴族に関するものばかりで、庶民の利用については分かっていません。
▽江原メモ「天皇の行幸」
日本書紀の初めの温泉の記述は、631年9月19日の舒明天皇のもので「津国の有馬の温湯に幸す」と記されています。有馬温泉から戻ったのは12月13日です。3カ月もの間滞在したのですね!
鎌倉時代には連歌師や僧が温泉を訪れ、記録を残し、江戸時代には庶民も訪れましたが、病や傷を治す湯治のための長期滞在が主でした。温泉地に滞在することは、現代の入院と似た感覚だったのかもしれません。宿では寝床が提供されるのみで、食事も自炊がほとんどでした。観光を楽しむ現代とは滞在の仕方が異なることが分かります。
▽江原メモ「滞在中の食事」
明治期に伊香保温泉の宿で購入した品を記した「賄帳」です。資料では上段に金額、下段に品目名が記され「白米」「とうふ」などが購入品のほとんどを占めています。客はこれらの購入品や、持ち込んだ食品で自炊を行いました
・白米
・とうふ
・「賄帳」(同館蔵)
▽江原メモ
「温泉と寺社への参拝」
人々は病が治ることを祈り、希望を求めて温泉での湯治を選びました。それに併せて、神仏に祈りを捧げる神社や薬師堂、寺が建てられました。現在でもそれらが残る温泉地は多いですよね。温泉地に行った際にはぜひ参拝してみてください
・日向見薬師堂(中之条町四万)
●時代とともに変化する温泉地
明治維新を境に交通や経済が発展すると、温泉の保養地としての利用が広がっていきました。上野-高崎間に鉄道が開通すると、県外からも群馬の温泉を訪れる人が増えます。その翌年には高崎-横川間が開通し、磯部温泉が高級別荘地として栄えました。
戦後、経済が発展する中では社員旅行など団体で大型バスに乗り温泉地を訪れるようになり、大型の宿泊施設が増えました。その後、家族旅行や個人旅行が流行し、レジャー施設が付近に造られた温泉地もあります。現在では若者向けに、写真映えする場所や体験施設を整備する温泉地も増えています。温泉は時代によって姿を変えながら愛されてきました。
・上州磯部鉱泉場之略図(安中市蔵)
・カヌー(みなかみ町赤谷湖)
■関戸教授から学ぶ! 一味違った温泉旅
群馬大学の関戸教授に歴史地理学の観点からより温泉を楽しむ方法を伺いました
温泉に浸かると、日常では味わえない解放感を得て、心と体を癒やすことができます。さまざまな効能を持つ温かいお湯に、いつでも入れることが温泉の最大の魅力だと思います。過去の人々も日常からの解放や心身の回復を求めて温泉地を訪れ、そこに歴史と文化が発展したのでしょう。
今月の「ぐんま広報」の表紙は、草津温泉の湯畑です。上段の写真には徳川八代将軍御汲上の碑、湯畑を囲う木柵と多くの岩(高山植物園の一部)が写っています。これらから昭和5年から9年の間に撮影されたものと分かります。このように古い写真と現在の景観を比較したり、過去の紀行文や案内書を読んだりすると、ひと味違う温泉旅行を経験することができます。ぜひ温泉地に足を運び、土地の風情を楽しんでください。
▽群馬大学 教授 関戸明子さん
専門は歴史地理学。絵図・鳥瞰図・絵はがきから景観変遷を読み解き、紀行文や案内書を活用して旅行文化の歴史を探究。主著に「草津温泉の社会史」(平成30年)
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