■武者溜りの復元整備が始まります
上田城跡公園の旧市民会館や隣接する駐車場がある場所は、江戸時代には城を守るための兵を駐留させる「武者溜り」と呼ばれる場所でした。
その後、明治時代に上田城は解体され、武者溜りには上田市公会堂や市民会館などが建設され、現在に至っています。
市では、明治時代以降の歴史を尊重しながら、上田城を江戸時代の姿に近づけるため、旧市民会館の解体など、武者溜りの復元整備に向けた取組を進めています。
そこで今回は、市民の皆さまにとって数多くの思い出の場所となった旧市民会館の見どころを紹介しながら、今後復元整備が進む上田城の魅力を、城郭考古学者・千田嘉博さんのコメントを交えて解説します。
旧市民会館、そして上田城の「ココがすごい!」=「ココすご!」なポイントをお楽しみください。
◆旧市民会館のココがすごい!3つのPointを紹介します
旧市民会館の建物としての価値を記録として後世に残すため、長野県建築士会ヘリテージマネージャー※の皆さまご協力のもと、調査を実施しました。また、昨年11月には見学会を開催し、多くの方にご参加いただきました。その内容の一部をご紹介します。
※歴史的建造物の保全活用に携わる専門家
※解説の内容は動画でご覧いただけます
・長野県建築士会 ヘリテージマネージャー 長島さん
▽[ココすご!]上田城跡との調和
櫓のある本丸方面へ視線を誘導するため、3つの工夫がされています。
(1)タワー部分の外壁を傾けて圧迫感を軽減している。
(2)軒などを水平で直線的に設置している。
(3)建物の高さを抑えるため、半地下構造としている。
▽[ココすご!]客席空間の一体感を目指したホール
一般的にホールは扇形や四角形ですが、あえて円形としています。
2階席を設けないことで、客席空間の一体感と優しさを演出しています。
▽[ココすご!]交差した梁(はり)
円形のホールを支えるため、梁※を45°で斜めに交差させています。
ホール以外の梁も同様に交差させており、旧市民会館の特徴的なデザインとなっています。
※屋根などを支える、建物の横方向の骨組み
旧市民会館はデザイン性や機能性に優れた建築ですが、設備の老朽化などにより維持管理が困難であることや、武者溜り復元整備によって上田城の価値をより高めるため、今後解体します。しかし、後世にもこの建物の価値を伝えていくため、調査成果の公開などを進めていきます。
◆旧市民会館DATA
建築年:1963年(昭和38年)
構造:鉄筋コンクリート造 地下1階・地上2階建て
建築延面積:3,231.386平方メートル(979.2坪)
収容人数:約2,000人
建築費:1億5,300万円(建築当時の金額)
設計:石本建築事務所
※旧市役所本庁舎、市立図書館も同事務所の設計
◆武者溜り(旧市民会館)の主な歴史と今後の予定
・1628頃
江戸時代武者溜りが整備される
明治時代 上田城が破城される
・1923
大正12年 武者溜りがあった場所に上田市公会堂が建設される
・1960
昭和35年 上田市公会堂解体
37年 市民会館建設工事着工
38年 市民会館竣工(10月)・開館(11月)
・2014
平成26年 市民会館閉館
28年 信州上田真田丸大河ドラマ館として開館
29年
・大河ドラマ館閉館
・特別企画展「400年の時を経て甦る上田城」開催
・2025~
令和7年以降
・旧市民会館解体
・武者溜り整備工事
江戸時代の上田城の姿へ
※今後の予定は、変更となる場合があります
問合せ:
櫓復元推進室【電話】23・5403
上田城跡整備室【電話】23・5416
生涯学習・文化財課【電話】23・6362
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