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伊那市長のたき火通信

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長野県伊那市

■信仰の道 法華道(ほっけみち)
市役所に収入役として入った20年ほど前、一人のお年寄りが訪ねてきました。「入笠山(にゅうかさやま)の南の方に、高座岩(こうざいわ)と言う由緒ある岩があって、そこからはわしの生まれた芝平(しびら)の谷や、遠く伊那の街が見えた。それが、周囲の樹が大きくなって今は何も見えない」と切り出して、「何とか、わしが昔見たような景色を、もう一度見たいので手を貸してほしい」というものでした。そして「わしももう年だし、先はそんなに長くない。年寄りを助けると思ってぜひ頼む」と、なるほど随分と年を取り、声も弱々しい感じのお年寄りに見受けられます。ここは一肌脱がねばなるまいと決め、それから長野県林務部や南信森林管理署に掛け合い、許可を得てカラマツ・トウヒ・モミなどを伐採し、高座岩から芝平集落や伊那の美しい景色が見えるようになりました。
このお年寄りの名前は北原厚(きたはらあつし)さん(故人)。室町時代から使われていた「法華道」を、たった一人で10年以上をかけて復活した人です。山梨県身延山(みのぶさん)から、長野県富士見町を通り、入笠山の南を辿り、御所平峠(ごしょだいらとうげ)から伊那谷に至る道が「法華道」で、日蓮宗の布教のための道であり、戦国時代には武田信玄の軍勢が通り、また信州と甲斐を結ぶ物資輸送の重要な道でした。この道は戦国、江戸、明治、大正、昭和30年代まで使われていましたが、その後車社会の出現とともに使われなくなって、歴史からも消えていきました。北原さんは一人で、生い茂るクマザサを刈りはらい、往時の信仰の道、仏の道を復活させたのです。私の所に来た頃は、信念と信仰心の篤(あつ)い73才で、とても老(お)い先(さき)短い老人ではなかったはずですが、私はまんまと名演技にはまったのでした。
日朝上人(にっちょうしょうにん)が1473年(文明5年)、七日七晩説法をしたと言われる高座岩で、北原さん念願の法要が営まれました。日蓮宗の遠照寺(おんしょうじ)の住職を伴い、高座岩の上でお経を唱え、厳(おごそ)かな時間を過ごしました。和尚(おしょう)の透き通るような声が、秋の谷に響き渡りました。
「法華道」には、龍立場(りゅうたつば)、御所ヶ池(ごしょがいけ)、御所平(ごしょだいら)、脛巾(はばき)あて、厩(うまや)の平(たいら)、山椒小屋(さんしょうごや)などの地名が今でも残り、沿線にはいくつもの石仏も残っています。悠久(ゆうきゅう)の時を感じながら歩くことをおすすめします。

伊那市長 白鳥考

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