■我がまちのいいとこ10選〜中村弥六(なかむらやろく)が整備した『進徳(しんとく)の森』〜
令和6年8月20日(高遠町東高遠)
東高遠の峰山寺(ほうざんじ)の裏墓地を登って行くと、中村家の墓石を囲むようにユリノキ、ドイツトウヒ等、樹齢百年余の外国産樹木が見事な姿を見せていました。
この森は大正元(1911)年の大雨災害時に弥六が私費で保全したもので、山地の崩落防止のための植林を行い、境界を明確にするため見分けしやすい外国産樹種を見本林としたそうです。昭和35年に旧高遠町に寄贈、『進徳の森』と名付けられて大切に保存されてきました。
「近代林学の父」中村弥六は、明治23年から大正5年まで帝国議会の衆議院議員を27年間務めた政治家で、森林法や普通選挙法制定の活動を行いました。明治32年、弥六らは列強支配からのアジア民族独立を支援し、横領疑惑の「布引丸事件」に巻き込まれましたが、遺書等から、一人汚名を被(かぶ)ることで日本、アジア民族を守ろうとしたもので、清廉潔白(せいれんけっぱく)、方正(ほうせい)な人であったと信じて疑いません。(※)
是非とも多くの皆さんに『進徳の森』を訪ね、地元高遠輩出の中村弥六の偉業を知っていただきたいと思います。
中山勝司(なかやまかつし)
※参考市公式HP(二次元コードは本紙参照)
・中村弥六と進徳の森
・たき火通信145
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