- 発行日 :
- 自治体名 : 北海道岩見沢市
- 広報紙名 : 広報いわみざわ 2025年11月号
日本の終戦から今年で80年が経過しました。戦時から現在までの間、私たちの暮らしに大きく影響を与えた出来事などを歴史資料などから振り返ります。
■第8回 勧業課の鐘が伝えた不撓不屈のスピリット
札幌県勧業課は、開通した幌内鉄道の停車場に近い元町畑に派出所を開設し、明治17年から士族の入植を受け入れました。入植者にはおよそ5千坪の開拓地が割り当てられ、家屋のほか、玄米などの食糧や農作物の種子が貸与されました。割り当てられた土地は3年以内に開墾するよう指導が行われ、毎日決まった時間に鳴らされる鐘の音が、その日課を告げる役割を果たしていました。農作業の指導にも力が注がれ、入植者たちは厳しい環境の中で懸命に汗を流しました。とりわけ、東地区の開拓を担った鳥取県出身の士族たちの苦労は、文学作品にも描かれています。文芸家として〝東郷土誌〟を編さんした入植者・山村岩太郎は、当時を「開拓完了と共に霞(かすみ)散(さん)じて空晴れ渡り、茲(ここ)に悲壮なる鐘の音は絶えたり」と追想しています。これは、休む間もなく働いた日々と、苦難を乗り越えた開拓の終わりを象徴する言葉でした。また、東地区出身で明治期から戦時下にかけて文壇で活躍した中村武羅夫(ぶらふ)も、入植者たちが自然の厳しさや病害虫と闘いながら苦労して手にした開拓地で築き上げた生活が、次第にむしばまれていくさまを自身の家族と重ね合わせて作品に記しています。
明治19年、札幌県に代わって北海道庁が設置されると、元町畑の派出所は廃止され、鐘は私塾〝入徳学舎〟の校庭に移されたと伝えられています。入徳学舎はやがて岩見沢尋常小学校の分校を経て、明治32年に東尋常小学校(現在の東小学校)として開校しました。その後、鐘はしばらくの間、学校敷地内の林に吊るされていましたが、戦時中に所在不明となり、昭和50年に校舎の倉庫から発見されました。昭和52年、新校舎への移転に伴い、創立90周年記念として、鐘を取り入れたモニュメント〝はばたき〟が設置されました。このモニュメントはかつて入植者たちが厳格な日課のもとで働き抜いた不撓不屈の精神を今に伝え、新しい時代を生きるこどもたちにその志を語りかけています。
問合先:総務課市史資料室(北村支所内)
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