くらし 戦後80年・富良野空襲を語り継ぐ
- 1/29
- 次の記事
- 発行日 :
- 自治体名 : 北海道富良野市
- 広報紙名 : 広報ふらの 2025年6月号 No.765
令和7年は第二次大戦後80年の節目の年です。戦争と戦時下を経験した方々はすでにご高齢となり、その記憶を語り継ぐことがこの先、とても難しくなります。富良野でも終戦間近に空襲があり、尊い人命が失われました。理不尽で凄惨な戦争の記録と記憶を伝え遺していく責務が、私たちにはあるはずです。
◆北海道空襲
昭和19年から始まった米軍による本土空襲は、翌春には東京や大阪などの大都市にも及んで多くの人命が失われ、その後地方にも攻撃が広がっていきました。昭和20年の7月14日・15日、米海軍の高速空母を主力とする第38任務部隊は、艦上機を投入して北海道と北東北の軍事施設や艦船を目標に攻撃し、2900名以上の方が犠牲になりました。
この北海道空襲による米海軍の目的は、(1)日本軍の飛行場と航空機の破壊、(2)青函連絡船とこれによる津軽海峡の輸送網の破壊、(3)軍事施設や関連工場の破壊などで、さらに人と物資を大量に輸送できる鉄道輸送網の分断もその狙いの一つでした。
◆富良野空襲
昭和20年7月15日(日)の早朝5時15分頃。分厚い雲間から飛び出したF6F-5(通称ヘルキャット)8機が富良野上空に突如現れ、警戒警報の鳴り響く中、市街地に機銃弾とロケット弾による無差別攻撃を仕掛けました。
米海軍の戦闘報告書には、下富良野駅(現富良野駅)の操車場や蒸気機関車などを主要な目標に攻撃したと記載されており、この空襲で作業中の国鉄職員2名、富良野国民学校教師1名、植竹病院に入院中の患者1名がお亡くなりになりました。同日12時20分頃、さらに、16時15分頃にも別動隊による攻撃が行われ、市街地は大混乱に陥りました。2回目の空襲でも1名の方が亡くなり、富良野空襲では5名の民間人が犠牲になったと記録されています。
◆米軍史料が語る富良野空襲の実像
令和5年5月、大分県宇佐市の市民団体「豊の国宇佐市塾」が米軍戦闘機撮影の16ミリフィルムを解析・公開し、その中に富良野空襲の映像が含まれていたと報道されました。これは富良野空襲2回目、12時20分空襲時の撮影フィルムと考えられるもので、米軍の戦闘機に搭載したガンカメラが捉えた16秒間の映像です。昨年にはこのフィルムを道内放送局が注目し、富良野空襲の特集番組が放送されました。
◆講演会「富良野空襲と富良野出身の戦没搭乗員」
この映像は富良野市にとって大変貴重な歴史資料であることから、動画をお譲りいただき、博物館で常設展示する予定です。また本年は、戦後80年という節目の年でもあり、これを記念して「豊の国宇佐市塾」で解析作業を地道に続ける織田祐輔さんをお招きして、フィルム動画の上映を含めた講演会を開催します。市民の皆さん一人一人が富良野空襲を語り継いでいくためにも、貴重な機会になりますのでご参加をお待ちしております。
なお富良野空襲に関する詳しい情報は、「富良野市博物館報告第6号」に織田祐輔さんのレポートを掲載していますので、より詳しく知りたい方は富良野市博物館のホームページをご覧いただくか、市立富良野図書館に配架の博物館報告をご覧ください。なお著者と博物館の許可なく報告書を無断で転載等することはご遠慮ください。
◇戦後80年記念講演会~日米双方の史資料からみた~富良野空襲と富良野出身の戦没搭乗員
とき:6/28(土)13:30〜15:30
ところ:文化会館会議室A・B
定員:50人
※参加無料
申込み:6/26(木)までに電話か広報紙P.3のQRコードでお申込みください
問合せ:博物館
【電話】42-2407
※写真は広報紙P.2~3をご覧ください。
問合せ:博物館
【電話】42-2407