- 発行日 :
- 自治体名 : 北海道知内町
- 広報紙名 : 広報しりうち 2025年5月号
■猫塚
雷公神社の社家大野家には、猫塚の伝承があります。
22代神主、大野石見重敬(しげたか)は文武両道に優れた人物で、明治2年(1869)の箱館戦争では松前藩の奇兵手として大いに活躍しました。茂辺地矢不来の戦いでは強敵と一騎討ちの勝負になり、悪戦苦闘の末ようやく首級(しゅきゅう)を上げることができたといいます。
その後重敬は帰郷し神職に戻ります。ある夏の夜、うたた寝していると気配を感じ、目を上げると前に討ち取った武士の怨霊(おんりょう)がランランと目を光らせて勝負を挑んできました。重敬は驚(おどろ)きながらも床の間の刀を抜いて斬りつけると、怨霊は「ギャッ」と声を上げ姿を消しました。
家人とともに血痕(けっこん)をたどると、裏庭に大きな古猫が額(ひたい)を割られて死んでいました。哀れに思った重敬はその死骸(しがい)を庭に埋め、石祠とともに椿を植えて「猫塚」と称しました。
その後伝承は忘れられ、昭和35年に国道改修で家を移転改築した際に石祠を移すと、その下から白骨が出てきました。驚いて調べるとこれが猫塚であると判明し、長く埋もれた伝承が今に伝えられることとなったのです。
なお重敬は明治9年神社遥拝殿(ようはいでん)に子ども達を集め勉強を教え始めます。これが知内小学校の前身です。