- 発行日 :
- 自治体名 : 北海道倶知安町
- 広報紙名 : 広報くっちゃん 令和7(2025)年5月号
春が訪れ、暖かくなり外出しやすい季節となりました。
雪が解けたことで石碑が見られるようになったため、今月号の特集では、町の歴史の中で記念として建てられた石碑から町の歴史を振り返ります。
(1)倶知安、小学校発祥旧跡地碑
この記念碑は、町で初めての小学校「倶知安尋常小学校」の最初の校舎があった倶知安神社社務所の北側に建てられています。
尋常小学校は、1896年9月に開校され、1936年に校舎の建て替えに伴い場所が変更され、名称が八幡尋常小学校に改正されました。
1984年には学校の統合の話が進み、周辺の小学校とともに同年3月に閉校しました。閉校の翌年8月に、この記念碑が建てられました。
(2)サンモリッツ大橋記念碑
この記念碑は、町が姉妹都市提携を結んでいるスイス・サンモリッツ市との末永い友好と発展の架け橋として建設された「サンモリッツ大橋」の完成を記念して建てられました。
工事は2000年度に開始され、2005年12月に完成しました。橋の長さは446mで、尻別川に架かる橋の中では最も長い橋となっています。
橋の名称は、町が「東洋のサンモリッツ」と呼ばれることにちなんで一般公募の中から決定されました。
(3)倶知安開基50年記念碑
この記念碑は、1941年8月に町開拓功労者の阿部半平氏が工事監督を務め、建設費用に寄付するなどし、クッチャン原野の開拓から50周年を迎えたことを記念して建てられました。
石碑の高さは約4.5mととても大きく、基礎部分はコンクリートで作られており、台座には町内で集められた石が用いられています。同年には記念事業として、記念式典や祝賀提灯行列、野外映画会などが執り行われました。
(4)布袋座遭難者慰霊碑
この慰霊碑は、1943年3月に町内の映画館、布袋座で発生した「布袋座火災」の犠牲者208名を追悼するために建てられました。
戦時中の当時は映画を見られる機会は貴重で、火災の発生した上映日には映画館に多くの人が集まっていました。
被害が拡大した原因は、出入口が1カ所であったこと、建物の1階部分が雪で埋もれている状態により、5カ所の非常口が機能しなかったことにあります。
町内にある石碑の情報は、ニセコデジタルマップから確認することができます。
(1)デジタルマップを開き「カテゴリー」を選択
(2)「石碑」を選択
ニセコデジタルマップでは石碑のほか、アクティビティや飲食店なども調べることができます。
ぜひ、活用して町内のお気に入りスポットを見つけてみてください。