文化 余市町でおこったこんな話

余市町の埋もれた歴史等を紹介し、改めて余市町を再認識するコーナーです。

~その253~『アーケード』

昭和52(1977)年の広報よいち1月号で発表された余市町五大ニュースの中に「大川名店街のアーケード化」が見えます。
鉄骨造りでアルミ屋根のアーケードは、大川町2丁目から3丁目(大川十字街)までの道路の両側に歩道を覆うかたちで設けられました。工事費は約6,000万円が計上され、完成は昭和51年の12月のことでした。
「アーケード」はイタリア語の「arcata」が語源で、「弧状のもの」「橋のアーチ」という意味で、アーチ型の屋根で覆われた通路や商店街を指すようになりました。アーケードはその役割から3つに区分されます。道路全面を覆う全蓋(ぜんがい)、道路の片側だけを覆う庇下(ひさしした)、建物の軒下を歩けるように軒からひさしを長く突き出した雁木(がんぎ)です。
大川名店街のアーケードは道路の片側だけを覆う形で、この始まりは明治7(1874)年にはあった東京の銀座煉瓦街で、雨が降っても買い物が楽しめました。
札幌市の狸小路や小樽市の都通り商店街は全蓋式のアーケードですが、狸小路は昭和35年、都通りは昭和41年にそれぞれが完成しました。
それまで大きな都市にしかなかったアーケードが、地方の町にできたことは画期的でした。扱う商品やサービスが多彩な商店街でしたが、アーケードができたことで全道各地からの視察が増えました。
アーケードの点灯式が行われた時のことを名店街にお住まいだった方からお聞きしました。
「アーケードの灯りがついたときはびっくりしましたよ。すごいなと思ってね」
灯りは自動でつくのではなく、商店街の人が当番を決めて4ヶ所ほどあった電源を入れたり消したりしていたそうです。
「余市祭と北海ソーラン祭りの時には歩行者天国になって、露店が並び、歌謡ステージもありました。北海ソーラン祭りのパレードは役場方面からやってきて、大川名店街を通る。ステージに審査員が並んで、パレードの団体の審査があって、大川十字街を右折して駅前方面に向かいました。ものすごい人出でしたよ」
北海ソーラン祭りのパレードが名店街を通ったのは昭和46年から平成9(1997)年までだったそうです。
昭和52年の新聞記事を見ると、名店街の全店が参加して8月13日から20日までの8日間、午後6時から9時まで、「名店街夜店」が催されました。
夜間の人通りをもっと賑やかにしようという目的で始まって「その“目玉”としては釣り堀、ヨーヨー、綿アメといった露店から焼き鳥、生ビールなどの食べ物コーナー、そしてゲームコーナーなどを催して、大いにアーケードの下で楽しんでもらおうというもので…中略…そして同商店街全三十九店が参加して夏物処分市など特別セールを展開して、お客様を店内に引き込もうという本音も…」とあります。
「冬は屋根の除雪があって、鉄骨が錆びたら錆を落として、ペンキを塗って、大変だったけど皆でやりましたよ」と笑顔で話してくださいました。