くらし 【特集1】新春市長対談 笑顔交わる、共創(きょうそう)の環(わ)(1)

ロバート キャンベル×郡 和子
せんだいメディアテーク館長・ロバート キャンベル氏をゲストにお迎えし、アートの持つ可能性やこれからのメディアテークなどについて、郡市長と語り合っていただきました。
会場:せんだいメディアテーク

■ロバート キャンベル氏
ニューヨーク市生まれ。日本文学研究者。専門は近世・近代日本文学。
東京大学名誉教授。2025年4月にせんだいメディアテーク館長就任

■館長に就任して
[市長] あけましておめでとうございます。キャンベルさんは、日本で40年間日本文学を研究し、東京大学名誉教授など数々の要職を務められており、昨年の4月からは、せんだいメディアテークの館長に就任いただいています。仙台の生涯学習や文化活動に大きなお力を貸していただけるということで、とてもうれしく思っています。就任前から何度も仙台にお越しいただいているとのことですが、まずは仙台の印象について教えていただけますか。
[館長] 私は20代の頃に研究生として九州大学に留学し、その後国語学・国文学研究室の専任講師として採用されたのですが、調査で狩野文庫や漱石文庫がある東北大学へ行くために何度も仙台に足を運びました。当時は、東北新幹線が開通するかしないかという時代で、本当に長い時間をかけて来ていたんです。仙台の空気はとても清冽(せいれつ)で、人々は温かいなと。東北の人たちはすごく口数が少ないですが、ちょっとしたきっかけがあれば、話し好きというか、温かいということがだんだん分かっていきました。食べ物もおいしいし、山も海も川もあって、世界でもすごく珍しいまちだなと思いました。
[市長] 昨年の6月に行われた初の館長イベント「ずんだと牛タン―ぼくに仙台のことを教えてください!」は、皆さんに館長自身のことを知ってもらうだけでなく、館長も仙台について教えてもらうという内容でしたね。
[館長] この素晴らしい施設でスタッフと一緒に何かをつくっていくためには、私も仙台について学ばないといけません。ですから、「仙台を知らない人に説明するのに一番適切なものを持ってきてください」と事前にお題を出して、4組のゲストに仙台について語ってもらいました。広瀬川のさまざまな場所で採取した水とそれぞれの場所でのストーリーを紹介してくれたり、別の方は祖父の時代から集めている広瀬川の石を持ってきてくれたりしました。記憶、歴史、自然、風景というものが結び合っていて、それがまちの力になっているのだと感じましたね。
[市長] 広瀬川は市民の皆さんが愛し、守っている自然の一つでもあるので、いろんな思いがそこにあるんだろうと思います。今日は、私だったら仙台を紹介するのに何を持って行くか考えて、定禅寺通のケヤキの剪定枝(せんていし)などを使って作られたタンブラーとガンザ(振って音を出す打楽器)を持ってきました。剪定枝をごみとして捨てずに再利用し、ループ(循環)させていくために、民間事業者の方々の手も借りながら作られたものなんです。
[館長] これはすてきですね!「ループ」。パワーワードを市長から頂いた気がします。メディアテークもお互いにつながり合えるようなループをつくっていくことが大切だと感じています。

■支え合い、つながる心
[市長] 仙台のまちは東日本大震災による甚大な被害から復興を遂げてきましたが、その震災から間もなく15年になります。当時を振り返って特に印象に残っていることはありますか。
[館長] 地震発生時は東京でテレビ番組の収録をしていたのですが、スタジオが船底のように揺れて。その後、番組のプロデューサーが持っていたテレビで津波の映像を見て、あっけにとられたことを記憶しています。その夜に歩いて帰宅する途中、公衆電話の列に並びました。そこでは石巻出身の女性が電話で家族や周りの人の安否を確認していたんですが、硬貨をたくさん入れないとすぐに切れてしまう。すると誰も何も言わずに、列の後ろの方からピストン式に彼女の元へ硬貨を渡して、硬貨の小さな山ができていたんです。日本だと公共空間で知らない人にあまり声をかけないですが、いざという時はそれぞれが考えて行動して、それが大きな力になっていく。安心というのは育てていくもの、つくっていくものだと感じました。
[市長] 何か自分にもできることがないか、という内側から湧いてくる気持ちが行動につながり、安心安全がつくられるのかもしれません。震災後、鳴子温泉に避難されている方を対象に、読書会を開かれていますね。
[館長] 私の友人が鳴子温泉で湯治場を営んでいて、そこが二次避難所になったのですが、部屋から出てこない方がいらっしゃったんです。そこで実際に被災地を歩いたり、避難所でお話を伺ったりして何ができるかを考え、読書会の活動を始めました。
[市長] 読書会を通して、被災された方々にはどのような変化があったのでしょうか。
[館長] 性別や職業、年齢関係なく集まって、一緒に小説などについて語り合ったり朗読し合ったりしていたのですが、普段あまり関わりがない方たちの間で会話が生まれ、笑いも起きるようになりました。活動を始めて3回目くらいからは泣き出す方がいたんです。おそらく自分の経験や記憶が物語と重なるんですね。少しずつほぐれていくというか、何かがともる感じがありました。令和5年に、ウクライナの避難者の声を基に制作された証言集『戦争語彙(ごい)集』を日本語に翻訳するため、ウクライナを訪れたのですが、避難者たちのストーリーや、絶望に近い状況の中でお互い手を差し伸べ合っている姿が、3・11の際に被災者の方々とお話しした時と重なりました。
[市長] 厳しい状況の中でも、思いや言葉で人はつながることができるし、こうしたことを共有できる場が必要なんですね。