文化 朝日町の神社と御堂

―町全体が博物館 朝日町エコミュージアム―

■第25回 八天稲荷(はってんいなり)神社(四ノ沢)
所在地:四ノ沢集落の南東、りんご温泉に行く道の途中にある
元禄年間(1688~1704)米沢藩が最上川舟運を始めましたが、五百川峡谷には多くの難所があり、破舟事故が度々起きたそうです。四ノ沢にも三ツ瀬(みつのせ)(お八天(はってん))の難所があり、毎年のように舟が転覆(てんぷく)したそうです。米沢藩では「これは魔神の祟(たた)りならん。水深くこれを探し、神として厚く祀(まつ)らん」とて、水練の達人を川深くくぐらせたところ、さんぜんと輝く神玉石(しんぎょくせき)を拾い上げたので、早速川辺に稲荷(いなり)大明神としてこれを祀り、中郷(宮宿)村の大庄屋鈴木惣三郎を別当としました。これが享保(きょうほう)八年(1723)のことだそうです。以後、四ノ沢村の氏神としても崇(あが)められていましたが、嘉永(かえい)六年(1853)四ノ沢村と鈴木惣三郎とで神社および社地の所有権争いが起き、安政五年(1858)四ノ沢村が神社を現在地に移転したそうです。

○ウサヒのゆるっと解説
前に神社があったとされる場所は、最上川(五百川峡谷)あさひフットパスの「宮宿(八天)りんごの小径(こみち)」の緑ヶ丘公園から北に入り、最上川沿いのフットパスの西側の小高い丘の上なんだよ。そこには、鈴木惣三郎が建立(こんりゅう)した石碑があり、「八天稲荷大明神 安政六年己未(つちのとひつじ)五月十九日」とあることから、移転した後に建てられたものなんだよ。