文化 写真が語る「いわき」の歴史 狩猟の中心は銃からわなへ

いわき地域学會 小宅幸一

ヒトが狩猟移動を脱し農耕や牧畜によって定住するようになると、山間部や里山に棲息(せいそく)する野生動物から畑作物を守るための獣害駆除が必要となりました。
明治時代に入り外国の狩猟文化が流入すると、新たに都市の富裕層を中心に狩猟そのものを楽しむという趣向が登場します。
これに伴い法の整備も順次行われ、狩猟期間、狩猟方法、狩猟の対象鳥獣などが決められました。狩猟免許の内容も変化し、網、わな、銃に区分されます。昭和30年代から40年代にかけて、種目別では9割が銃免許者でした。
イノシシ被害が増加し、行政が有害鳥獣駆除事業を導入していくのもこの頃からです。全国的には狩猟免許取得者数は昭和50年代がピークで、いわき市における保有者も昭和56(1981)年には1,988人とピークを迎えます。これ以降、免許者は減少し、高齢化が進みます。背景には、元々日本の厳しい銃保有の規制が働いているうえに、野外スポーツとしては認めがたい風潮が若者に浸透していることが挙げられます。全国的には平成27(2015)年に免許種目別で網・わなが銃を超え、若者を中心に微増となっています。
このような中、市内のイノシシ棲息数は約7,200頭と推計されており、平成22年度に約5,200万円であった農作物の被害額は、わずか4年後の平成26年度には約9,800万円と2倍に急増しました。
市は、イノシシ捕獲報償金交付制度などを活用しながら、駆除頭数の増による適正な棲息数管理に努めています。