- 発行日 :
- 自治体名 : 福島県白河市
- 広報紙名 : 広報しらかわ 令和8年1月号
寄稿 市文化財保護審議会委員 佐川 庄司(さがわ しょうじ)
老中退任後の松平定信(まつだいらさだのぶ)は、白河藩政においてさまざまな施策を展開しており、殖産興業の振興にも意を注いでいる。それは、白河焼などの陶器制作、西陣織に学んだ織おり座ざの設置、酒造における杜氏(とうじ)の招聘(しょうへい)、須賀川ガラスの制作、玉川村での鉄の精製などである。
写真は、城下桜町にあった藩窯で焼かれた白河焼「琥珀薬水指(こはくくすりみずさし)」である。箱蓋に次の墨書がある。
表「内窯琥珀薬水指」

この箱書によれば、登り窯などの本窯ではなく小規模の内窯で焼成した琥珀の釉薬(ゆうやく)をかけた水指で、小林覚左衛門(こばやしかくざえもん)が作陶したものである。その上蓋は黒漆塗りで抓(つま)みには新潟の海岸で採集された名石が使用され、享和元年(1801)9月に完成したという。楽焼(らくやき)による茶道具の水指で、器面全体に貫入(かんにゅう)が入り、口形は楕円形(だえんけい)を呈している。白河焼の陶器として現存する数少ない貴重なものである。
定信は寛政年間(1789〜1800)に城下桜町に所在した瓦方(かわらかた)役所の瓦師(かわらし)小林覚左衛門に陶器制作を命じ、同氏を瀬戸(せと)・信楽(しがらき)・京都清水(きよみず)・楽焼などの窯元へ派遣し、陶器修業を行わせ白河焼の創始者とした。小林家文書の文化年間(1804〜18)の記録によれば、定信は参勤交代に合わせて江戸城本丸(将軍家斉(いえなり))と西の丸(家斉の子家慶(いえよし))に、白河焼の茶碗(ちゃわん)を内献上していたという。
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