- 発行日 :
- 自治体名 : 福島県白河市
- 広報紙名 : 広報しらかわ 令和8年1月号
(に)
丹羽長重(にわながしげ)
十万石(じゅうまんごく)の
まちづくり
丹羽長重(1571〜1637)は、織田信長(おだのぶなが)・豊臣秀吉(とよとみひでよし)に仕えた丹羽長秀(ながひで)の子として美濃国(みののくに)(現在の岐阜県)で生まれました。
父長秀の没後、越前(えちぜん)・若狭(わかさ)両国と加賀(かが)・近江(おうみ)123万石を継ぎましたが、秀吉による勢力削減策により石高を4万3千石まで減らされました。
そして1600年、徳川(とくがわ)方である前田利長(まえだとしなが)との間で、北陸における関ヶ原の戦いとされる「浅井畷(あさいなわて)の戦い」を引き起こし、家康(いえやす)により改易させられました。
しかしその後、長重は1603年に常陸国(ひたちのくに)古渡(ふっと)に1万石を与えられ、大名として復活します。理由は諸説ありますが、2代将軍徳川秀忠(ひでただ)の妻と長重の妻が従姉妹(いとこ)であったこと、丹羽家の持つ築城技術が秀でていたことなどがあげられます。
さらに1627年には、幕府より会津領から独立したばかりの白河への移封を命じられ、長重は初代白河藩主となります。
長重は小峰城を大規模改修したほか、城下町の改修・整備を行い、約400年経過した現在まで残る町割を形成しました。
波乱を越え、白河の地に灯(とも)されたまちづくりの火は、4世紀を経た今も人々の生活を照らしています。
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