文化 おしえて博物館-七十七-

『納豆ねせの日』

現在、皆さんの食卓に並ぶ納豆は、そのほとんどがスーパーなどで購入されたものかと思います。しかし、50〜60年ほど前まで、相双地方はもちろん、東北地方やその他、納豆を食べる広い地域の農家では、納豆は買うものではなく作るものでした。
12月25日といえばクリスマスを思い浮かべますが、かつては「納豆ねせの日」といって、各家で納豆を作る日とされていました。相双地方では、この日に正月の間食べる分と神様にお供えする分の納豆を作りました。
作り方はまず、大釜で煮た大豆を藁苞(わらつと)というワラで作った筒(ツツコ)に入れ、土の中にねかせ、その上で火をたきます。そのまま冷めないよう3〜10日ほどねかせれば、ワラの納豆菌が発酵して納豆の完成です。他にも、地域や家庭によってさまざまな作り方があります。この日に夫婦げんかをすると納豆がうまくできる、納豆作りが上手な人は蚕(かいこ)上手(糸を引くことから)などといわれました。
自家製納豆を食べていた人によると、「うまく糸を引かないときもあったが、それでも大事なおかずだった」「今のように糸を引く納豆ではなかったが、納豆屋で買ったものよりおいしかった」「しょうゆは普段買わなかったから、代わりに必ず酸っぱくなった白菜の漬物を刻んで入れた。それでも昔はごちそうだった」など、どの感想からも当時納豆が貴重な食べ物だったことがうかがえます。
納豆ねせは手間のかかる仕事ではありましたが、新しい年を迎えるための大切な行事であり、冬期の保存食確保のための大事な仕事でもありました。その味は思い出深いものとして、納豆ねせを経験した人々の記憶に残っています。
最近はワラの入手が難しくなりましたが、通販で藁苞納豆を作れるキットを購入することもできます。今年の年末には納豆を仕込み、手作り納豆で新年を迎えるのはいかがでしょうか。

問合せ:市博物館
【電話】23-6421