- 発行日 :
- 自治体名 : 栃木県大田原市
- 広報紙名 : 広報おおたわら 令和8年2月号(No.1343)
■鵜黒(うぐろ)の駒
今回は今年の干支(午)(うま)にちなみ、与一とともに「扇の的」に臨んだ馬「鵜黒の駒」についてご紹介します。
元暦(げんりゃく)2年(1185)2月18日(新暦の3月20日頃)、与一は屋島の戦いで扇の的を射落としました。『平家物語』によると、この時与一は体格の良い黒い馬に乗っていました。この馬の名前は、江戸時代に編さんされた『那須記(なすき)』によると鵜黒の駒といいました。『那須記』によると、鵜黒の駒は長谷田(はせだ)地区(大輪)で生まれた名馬で、領主の須藤資隆(すどうすけたか)(与一の父親)に献上されました。その後、与一の兄(十郎為隆(じゅうろうためたか))が乗っていましたが、屋島で弟の与一に譲ったといいます。
源平合戦後の行方については諸説ありますが、鵜黒の駒が生まれ育った場所として伝わる大輪の「駒込(こまごめ)の池」や、鵜黒の駒を祀(まつ)ったという練貫の「馬頭観世音堂」などが今もあります。ちなみに、「鵜黒」という言葉が「黒鵜(くろう)」→「くろう」→「黒羽(くろう)」と転じて黒羽(くろばね)という地名になったという説もあります。
与一は屋島の戦いで見事扇の的を射落としましたが、その活躍を支えていたのは地元生まれの名馬だったのです。
問合せ:那須与一伝承館
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