- 発行日 :
- 自治体名 : 栃木県大田原市
- 広報紙名 : 広報おおたわら 令和8年2月号(No.1343)
■刀圭録(とうけいろく)(慶応4年)
今回は「刀圭録(慶応4年)」を紹介します。本資料は、幕末維新期の黒羽藩医高橋三省(さんせい)が記した慶応4年(1868)閏(うるう)4月14日~6月24日の治療・投薬の記録です。寸法は、縦18.2cm、横48.4cmです。
冒頭から、黒羽藩15代藩主 大関増裕(ますひろ)の内縁の妻 待子(まちこ)(お待)の出産関係記事となっています。ここからは、亡き夫増裕の子を身籠っていた待子が、慶応4年4月20日夜に黒羽城を立ち退き、光厳寺(こうごんじ)(寺宿)に逃れていたことや、同時期、側女(そばめ)サダが産んでいた増裕長男の欣十郎(きんじゅうろう)が大宮温泉神社(中野内)の大宮司のもとに逃れていたことが判明します。
欣十郎に対しては、種痘(しゅとう)が施されていて、頭や顔・手足に小粒状の吹き出物が出たため、三省は閏4月14日、煎じ薬と膏薬(こうやく)を献上しています。彼はさらに同日、待子のもとに駆け付け、その後、彼女の出産に立ち合っています。閏4月21日夜、待子は安産にて、女児の誕生となり、「鑛(こう)姫君様」と称されました。
「鑛」は待子が初めに名乗った名前でしたが、待子の長女はその後、百代(ももよ)と名付けられました。ただ、残念なことに、欣十郎も百代も夭折(ようせつ)となりました。
本資料は、当館企画展「明治のナイチンゲール大関和のふるさと黒羽と医療」において3月1日(日)まで展示しています。
問合せ:黒羽芭蕉の館
【電話】0287-54-4151
