文化 上三川こぼれ話 第41話「農民たちの生命線-入会地(いりあいち)」

今年は午年ということで、馬に関する話題を目にする機会が多いのではないでしょうか。
かつて、江戸時代の農村地帯では、馬は人々の暮らしを支える大切なパートナーでした。時には現代のトラクターのように田畑を耕したり、トラックのように荷物を運んだり、農民の生活には欠かせない存在でした。健康で丈夫な馬を育てるためには、えさとなる草が欠かせません。化学肥料のない時代の青葉や干草は非常に貴重であり、時には年貢として納めることもあったそうです。
そうした貴重な資源を確保するため、近隣の村々が一定のルールを設け、共同で山や野原を使用し、秣(まぐさ)や薪などを採集できる場所を「入会地」といいます。入会地は、馬の飼育を支える共有の場所として、村人たちの暮らしと深く結びついていました。
日産自動車栃木工場の敷地は、かつては原野が広がり、蓼沼村、上郷村、西郷村、上三川村、上蒲生村、石田村、磯新田村の7つの村の入会地でした。ただ、入会地の境界が曖昧だったようで、その利用を巡り争いがたびたび起こりました。上神主村・下神主村と茂原村の入会地も同様に、境界がはっきりしていなかったため、争いが起こり、ついには訴訟沙汰にまでなった出来事もありました。仲裁人が入り、境塚をつくることで入会地の境界を明確にし、最終的には示談となったそうです。
梁村では、1652(慶安4)年に入会地としていた土地の開墾(かいこん)話が持ち上がった際に、開墾取りやめの嘆願(たんがん)を提出しています。
このように、入会地の確保は江戸時代の人々にとって非常に重要な問題であり、生活と大きく結びついていました。

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