文化 那須の歴史再発見!

◆那須町の地域文化遺産 vol.8
今回は、柏台開拓と「開拓」碑を紹介します。
柏台開拓は、終戦直後に那須村の未開墾地に入植した退役軍人らを中心とした開拓です。
終戦間もない昭和20年9月に設立された、「財団法人遺族、傷痍軍人保護並退職軍人職業補導会(総裁:東久邇宮稔彦王)」は、同年9月15日に陸軍次官より発せられた「帰農及開墾促進ニ関スル件」などに基づき、復員軍人らの帰農を促進し、募集を行いました。住宅と一町歩の耕地が与えられるということで、募集に応募した人々の一部が白河(福島県)の軍馬補充部残務整理事務所内の退役軍人補導部に集まり、旧軍馬補充部白河支部高津分厩地内放牧地に入植しました。これが柏台開拓の始まりです。
同年10月〜11月の間に地元入植者を含め33名が入植し、白坂(福島県白河市)の軍馬補充部厩舎を払下げ、解体・運搬・建築を行い住居を建設しました。
柏台の由来は、当地に柏の木が多く自生していたこと、軍人に縁深い、振武台(埼玉県朝霞市・陸軍予科学校があった)、相武台(神奈川県座間市・陸軍士官学校があった)、修武台(埼玉県狭山市/入間市・航空士官学校があった)の一字である「台」の字を加え、柏台と命名されました。
入植の契機となった補導会は昭和21年に解散となりましたが、入植者らは昭和23年に柏台開拓農業協同組合を設立し、離農者・補充者もありながら営農を続けました。昭和47年時点の営農形態に関するデータには、田んぼ30.4ha、畑が40.9ha、樹園地が6.8ha、乳牛261頭、肉牛18頭、鶏1,750羽の営農形態とあり、特に戦後開拓地の中では大同、新高久、大日向に次ぐ田地の多さを誇りました。
現在、柏台公民館前には開拓20周年を機に建立された「開拓」碑があります。碑文には「那須の荒野に身を投じ心中ひそかに祖国再建を希い不慣れの作業にも拘わらず只ガムシャラに働き続け」た人々の歴史が刻まれています。終戦後、銃を鍬に変えた人々の想いが碑には込められているのです。

問合せ:那須歴史探訪館
【電話】74-7007